仕事台にのっていたドローイング。
わら半紙の上に鉛筆で描かれている。
最近のヒロクニさんの考えているコトは、わからない?
わたしから言わせると、「もっといい紙に描いてくれないだろうか・・・という思いだけ」
最近ヒロクニさんが良く口にするのは、「光陰矢の如し」だ。そして「何でも早ければ良い!!」と言いながら、アトリエと台所をウロウロしている。なんでも「20代からこんなに絵を描き続けてきたのに、まだこんなトコロにいる。何とかかならんか!と思いひたすら絵を描いて、まだこんなトコロか?」ということらしい。絵のコトもあるけれど、暮らしぶりが変わらないコトも入っているのだと思う。けれど、わたしもヒロクニさんと結婚してから、歳月の流れる速度が変わった。期待、不安、人生のハードルが押し寄せ、わたしも「光陰矢の如し」をすご~くと共感するのです。
台所で紙に書き付けてあった言葉がちゃぶ台の上にのっていた。
ドゥルーズ
偉大なものは、マイナーなものだ
この言葉は正確には「偉大で革命的なのは、マイナーなものである」と作家のカフカについて述べた言葉らしい。ドゥルーズはフランスの哲学者だそうだ。哲学は、カントまでにしてくれというわたしはお手上げの世界である。自分を励ます言葉だったのかしらん?と思うだけである。ヒロクニさんは、結構、哲学書が好きで家に色々あります。わたしは、フランスの哲学は、頭の中だけで考えないといけないから敬遠しています。毎日の料理を作る脳みそとは、相性が悪いみたい。
わたしは、老荘思想の方があっていて、随分前「無為自然」と貼紙を柱に貼っていたことがある。どういう意味で貼っていたか?というと「何もしない事をする」という意味で貼ってあった。ヒロクニさんのいいなりに言うことを聞いてあげるのは容易いのだけれど、ヒロクニさんのコトを思えばあまり手を差し伸べない方が良いこともあり、ぐっと我慢で横にいるだけという事が大切な頃があったのです。自分の安心の為に動くというのは楽なのですが、当人が生きていく上で実感をもらいたかった為の策だったのです。なんだか、子供の教育みたいですね。ヒロクニさんは子供のようにおねだりをするから、ちょっと生長して欲しかったのです。こちらは、飲食男女の世界でわたしにはしっくりくる。これは、わたしのこれからのお楽しみ!!