瀬崎祐の本棚

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雨傘 7号 (2020/02)

2020-02-14 19:06:07 | 「あ行」で始まる詩誌
坂多瑩子と杉中昌樹の二人が編集発行している詩誌。10頁。

「林にみえて」阿部嘉昭は寄稿作品で「倉田良成哀悼」という副題が付いている。この作品は「いまの秋/ひとつの言語がなくなってしまう」とはじまる。かっては「tab」という詩誌を主宰していた倉田氏は昨年夏に逝去されているが、詩に真摯に向きあっておられることはその作品からうかがえた。言語は葉であり、えだぶりであり、林にみえるものなのだろう。

   ひとつ身をくばったなどととらえても
   ひとつはくばるとはいわないから
   ほのひかる緩衝間伐ができて
   はやしがほどけてゆく
   音楽の寺院までほどけてゆく

静かに唱えているような格好のよい哀悼作品だった。

「とても涼しい」和田まさ子も寄稿作品。新宿の雑踏の中で話者は人波を交わしながら泳いでいる。物理的な人は密集していても、存在するお互いのその関係は希薄なので、気持ちはあっさりしているのだろう。

   からだは残された課題に手を焼いている
   ひととの接続がうまくできないままの午後三時
   さっき街頭で配られた名前をすでに思い出せない
   それでわるいということはないのだが

今号のテーマは「配る」だった。坂多瑩子の作品は「配られる」。誰もいないはずだった会場に、明かりがつくといつの間にか人がいっぱいいるのだ。そして答えの書かれた問題用紙が配られる。時は遡っているようで、若い母と伯母が穴を掘ったりしている。悲しいわけではないのだろうが、甘酸っぱい手触りの作品だった。

杉中昌樹は「カードゲーム」。戦火の街があり、闘牛士や道化師が走りまわる。塔の尖端には旗が翻り、壁には読めない文字が書かれている。喧噪が渦巻いているのだが、すべては神が配るカードの中の物語なのか。映画の場面のように転換する世界が描かれていた。

私(瀬崎)は「顔屋」という散文詩を寄稿させてもらった。
コメント
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