第4詩集。142頁、第一部「街」に20編、第二部「村」に18編を収める。
「街」での作品は、夢想が現実世界と入り交じっている。たとえば「物体」では、「スーツを脱ぐと/皮まで一緒に脱げてしま」うのだ。すると私はのっぺらぼうの真っ赤な塊でしかなくなる。この世界で現実であるためには、塊をおおっているものが必要だったのだろう。
すき透ってるけど
空洞ではない沈黙を夢想して
ひたすら顔を擦っていると
頭の先っぽからぴゅっと
何か出たり
する
このように、「街」では話者の現実世界に入り込んでくる夢想世界が描かれている。「村」になると、話者は夢想世界へ入り込んでいってしまう。もうこちらへは戻ってくることもないのだ。
その村の郵便配達人のことや、写真館、理髪店でのことなどが報告される。誰も渡らない交差点や、誰も見たことがない時計台のことも描かれる。
「名前」では、この村の住人は名前を持っていないという。お互いは生まれた場所で呼んでいる。住民は名前を持つことを怖れているのだが、それは「この村では/名前を持った者は命を落とすと/言い伝えられているから」である。名づけることは、ある意味ではその人を名前に捉えることになるのだろう。生きていることは名前からはみ出すものを持っていると言うことなのだろうか。だから、
住民が名前を持つのは
世を去るときだ
彼の最後の言葉が名前となり
自分が誰だったかを
知るのだ
そのほかの村の事柄も魅力的だ。村には鏡がなく、誰も自分の顔を知らないということもいろいろと考えさせてくれる。他人の姿ばかりを見て、自分の姿は知らないでの自己認識とはどのようなものなのだろうか。
「街」での作品は、夢想が現実世界と入り交じっている。たとえば「物体」では、「スーツを脱ぐと/皮まで一緒に脱げてしま」うのだ。すると私はのっぺらぼうの真っ赤な塊でしかなくなる。この世界で現実であるためには、塊をおおっているものが必要だったのだろう。
すき透ってるけど
空洞ではない沈黙を夢想して
ひたすら顔を擦っていると
頭の先っぽからぴゅっと
何か出たり
する
このように、「街」では話者の現実世界に入り込んでくる夢想世界が描かれている。「村」になると、話者は夢想世界へ入り込んでいってしまう。もうこちらへは戻ってくることもないのだ。
その村の郵便配達人のことや、写真館、理髪店でのことなどが報告される。誰も渡らない交差点や、誰も見たことがない時計台のことも描かれる。
「名前」では、この村の住人は名前を持っていないという。お互いは生まれた場所で呼んでいる。住民は名前を持つことを怖れているのだが、それは「この村では/名前を持った者は命を落とすと/言い伝えられているから」である。名づけることは、ある意味ではその人を名前に捉えることになるのだろう。生きていることは名前からはみ出すものを持っていると言うことなのだろうか。だから、
住民が名前を持つのは
世を去るときだ
彼の最後の言葉が名前となり
自分が誰だったかを
知るのだ
そのほかの村の事柄も魅力的だ。村には鏡がなく、誰も自分の顔を知らないということもいろいろと考えさせてくれる。他人の姿ばかりを見て、自分の姿は知らないでの自己認識とはどのようなものなのだろうか。