瀬崎祐の本棚

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詩集「合歓の花」 北畑光男 (2018/11) 思潮社

2019-01-08 21:37:43 | 詩集
 第9詩集。91頁に21編を収める。
 「焼き鳥」は、煙のなかで「ばらばらになって消えそうに飛んでいる/鶏」を詩っている。身体は部分ごとに分けられ、串に刺されて炙られる様を「なんだか自分にそっくり」と自虐気味に話者は思っている。

   炭の火を赤黒く変えるおれの油
   ばらばらになった
   焼き鳥のおれ

   火は沈黙のまま赤々と燃え
   生きなければならないおれを怒るのである

 仕事や生活で意のままにならないことからくる鬱屈した思いは、誰にでもあるだろう。そんな話者への共感が作品を支える。最終連は「おれがおれを食っているのである」。哀しみを湛えた苦いユーモア感覚がここにはある。

 「挽歌」は重い作品である。ライトの中に見えたこおろぎは、死んだ仲間を食っていたのである。そして話者は、戦友の「おれを食って生き延びろ」という言葉を聞いた話を反芻している。そこには生きるための非情さがある。

 「岩魚」では、さらに直接的に食物連鎖を詩っている。釣り上げられてしまった岩魚は、俺は死んでいくから「もう俺の食べる分だけは/死ななくていいから」と言い残す。岩魚も自分が生きていくためには、これまでは他者の死を必要としていたのだ。最終部分は、

   寒い夕陽が折れています

   老人は岩魚を釣りにきて
   岩魚に自分が釣り上げられています

 このように、この詩集では、生きるために引き受けなければならない哀しみがくりかえし詩われている。「背の川」では、貧しい少年や行き場のない子どもが川辺にいる光景が描かれている。「そんな子どもの背には川が流れて」いるのだ。そして透明になって流されてくる人が見えるのだ。

   ちいさい手を合わせています
   生きててごめんね

   少年は
   自分の背を流れる河に
   幻の石を
   自分に向けて投げています

 静かな情景描写から起ちあがってくる情念が、見えなかったものを見せ始めている。
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