「干潟」本多寿。語り手は干潟の泥濘の中に半ば埋もれた貝殻に閉じこもっている。そして、低い視線で干潟を眺め、そこでおこなわれる生命の連鎖を目撃している。「はじめての男と/はじめての女」は「はげしく降りそそぐ光のなかで/かなしい咬合(まぐわい)をかさねている」。語り手は、卑小な自己の有り様を小さな貝殻の中にいて進化も退化もしない存在だととらえてはいるのだが、そこにはこれまで受け継がれてきた生命の担い手としての自分もあるわけだ。そこに自分の存在理由を感じている。
やがて
ぼくに情愛の潮は満ちよ
泥質の血はたぎれ
積年の鬱屈を洗いながせ
そしてぼくの上に
一枚の不変の海をひろげよ (最終連)
この最終連にいたって雄々しく鼓舞される心情が吐露される。海が自分の上に限りなく広がるという最終行は、地理的な広がりをあらわすと同時に、イメージはこれからの時間的な広がりにもつながっていき、一気に作品世界が深まっている。
本多寿の「詩の森を歩く-日本の詩と詩人たち」という連載も載っている。今回は「四季の詩人たち」、「プロレタリア詩人たち」であったが、31頁にわたる非常に読み応えのあるものだった。
やがて
ぼくに情愛の潮は満ちよ
泥質の血はたぎれ
積年の鬱屈を洗いながせ
そしてぼくの上に
一枚の不変の海をひろげよ (最終連)
この最終連にいたって雄々しく鼓舞される心情が吐露される。海が自分の上に限りなく広がるという最終行は、地理的な広がりをあらわすと同時に、イメージはこれからの時間的な広がりにもつながっていき、一気に作品世界が深まっている。
本多寿の「詩の森を歩く-日本の詩と詩人たち」という連載も載っている。今回は「四季の詩人たち」、「プロレタリア詩人たち」であったが、31頁にわたる非常に読み応えのあるものだった。
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