毎回、濃密な作品世界を提示してくれる時里二郎の個人誌であるが、今号には、書き継がれている「あの場所についての構想ノートより」の最終作品、「卵歌」が掲載されている。21頁に及ぶ散文詩である。
作品の冒頭に、水郷ノオトと名づけられた父のノオト類からの抄出であることとの話者による断り書きがあり、最後には附記まで付いている。作品の来歴そのものも作品世界に取り込んでしまっている。
作品の内容を伝えることは困難であるが、前作の「ニホ」と同様に水郷を舞台にしている。少女「ヨウは、水鳥を祖のカミとする歌よみの部族の末裔」あり、わたしの歌を「不思議な抑揚とリズムを歌のことばに吹きこむように」歌うのである。そしてヨウは、何物かの卵を孕むのである。
しかし、わたしは今もなほ、わたしの卵を身籠もってゐると言ったヨウのことばを忘れるこ
とはできない。もしそれがわたしのためについた嘘だとしても、その嘘の卵は、幻影であるが
ゆゑに、ヨウの思ひも丈が強く籠められてゐる。ヨウの念じた卵を、わたしの存在を懸けてこ
の世界に形象すること。それがわたしの《卵歌》である。
水郷という湿った土地を舞台にして、作品全体もぬめぬめと湿っている。ひんやりとした軟体動物のような蝕感を伝えてくる。
ヨウに歌われることによってわたしの歌は何に変容していたのだろうか。そして歌をうたっているうちにヨウが孕んだ卵は何だったのだろうか。歌のことばは、歌われることによって孕まれた何か異形のものへと、異形のものの生命となったのだろう。
今回もすさまじい物語世界を味わうことができた。
作品の冒頭に、水郷ノオトと名づけられた父のノオト類からの抄出であることとの話者による断り書きがあり、最後には附記まで付いている。作品の来歴そのものも作品世界に取り込んでしまっている。
作品の内容を伝えることは困難であるが、前作の「ニホ」と同様に水郷を舞台にしている。少女「ヨウは、水鳥を祖のカミとする歌よみの部族の末裔」あり、わたしの歌を「不思議な抑揚とリズムを歌のことばに吹きこむように」歌うのである。そしてヨウは、何物かの卵を孕むのである。
しかし、わたしは今もなほ、わたしの卵を身籠もってゐると言ったヨウのことばを忘れるこ
とはできない。もしそれがわたしのためについた嘘だとしても、その嘘の卵は、幻影であるが
ゆゑに、ヨウの思ひも丈が強く籠められてゐる。ヨウの念じた卵を、わたしの存在を懸けてこ
の世界に形象すること。それがわたしの《卵歌》である。
水郷という湿った土地を舞台にして、作品全体もぬめぬめと湿っている。ひんやりとした軟体動物のような蝕感を伝えてくる。
ヨウに歌われることによってわたしの歌は何に変容していたのだろうか。そして歌をうたっているうちにヨウが孕んだ卵は何だったのだろうか。歌のことばは、歌われることによって孕まれた何か異形のものへと、異形のものの生命となったのだろう。
今回もすさまじい物語世界を味わうことができた。
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