「洪水」が終刊となった後、池田康が編集発行している192頁の詩誌。
今号の特集は「田村隆一」で、吉増剛造と城戸朱理の対談「彗星のように回帰する火」が中心になっている。田村隆一を読む上での戦争体験、アメリカ体験の重さが伝わってくるものだった。
新倉俊一、田野倉康一など8人のエッセイも載っているのだが、八木忠栄が、もう時効だろう、ということで書いている「田村隆一の〈作品〉を離れて」はすこぶる愉快だった。
その他の記事としては、巻頭詩に小柳玲子「握り飯」。
部屋に入ると、誰だったかは思い出せない彼がいたのだ。一個しかない握り飯を勧めるがいらないと言われてほっとしている。「そうかそうか あんたはもう要らない人だったっけ」なのだ。もちろん西側から来た人なのだろう。
答えはなかった
それはあたりまえなんだ
彼はどこにもいないのだし
私はただ誰でもない人でもいいので
喋ってみたかったのだ
そうやって夜は深くなっていくのだった
飄々としていて、それでもどこか人恋しがっている。こちらにいながら西側とのあわいに身を溶けこませようとしているようだ。
対談としては野村喜和夫、福田拓也「『安藤元雄詩集集成』をめぐって」も載っていた。今年は2回も安藤氏の講演を聴いていたので、興味も深かった。
終わり近くに「poemuseum」というコーナーがある。これは、池田が惹かれたという他誌掲載の作品を転載するもの。冨上芳秀、北川朱実、吉田義昭各氏の作品とともに、私の「泳ぐ男」が「ERA」から転載されていた。拙作がいろいろな人に読んでもらえる機会が増えるのは嬉しい。
今号の特集は「田村隆一」で、吉増剛造と城戸朱理の対談「彗星のように回帰する火」が中心になっている。田村隆一を読む上での戦争体験、アメリカ体験の重さが伝わってくるものだった。
新倉俊一、田野倉康一など8人のエッセイも載っているのだが、八木忠栄が、もう時効だろう、ということで書いている「田村隆一の〈作品〉を離れて」はすこぶる愉快だった。
その他の記事としては、巻頭詩に小柳玲子「握り飯」。
部屋に入ると、誰だったかは思い出せない彼がいたのだ。一個しかない握り飯を勧めるがいらないと言われてほっとしている。「そうかそうか あんたはもう要らない人だったっけ」なのだ。もちろん西側から来た人なのだろう。
答えはなかった
それはあたりまえなんだ
彼はどこにもいないのだし
私はただ誰でもない人でもいいので
喋ってみたかったのだ
そうやって夜は深くなっていくのだった
飄々としていて、それでもどこか人恋しがっている。こちらにいながら西側とのあわいに身を溶けこませようとしているようだ。
対談としては野村喜和夫、福田拓也「『安藤元雄詩集集成』をめぐって」も載っていた。今年は2回も安藤氏の講演を聴いていたので、興味も深かった。
終わり近くに「poemuseum」というコーナーがある。これは、池田が惹かれたという他誌掲載の作品を転載するもの。冨上芳秀、北川朱実、吉田義昭各氏の作品とともに、私の「泳ぐ男」が「ERA」から転載されていた。拙作がいろいろな人に読んでもらえる機会が増えるのは嬉しい。
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