第2詩集。219頁に68編を収める。
前詩集は「水の感触」というタイトルで、作者は「水はわたしのいのちのみなもとであるという強い思いがある」と言っている。膨大な数の作品を収めているが、3年間に自己のブログに書いてきたものとのこと。日々の思いをそのまま言葉で書きとめているようで、自分をまっすぐに伝えようとしている。
「未完」は、人生を川の流れに見立てている。その流れは否応もなくひとつしかなく、「幾重にも折れ曲が」って海へ向かっていく。水の流れは、同時に時の流れでもあり、
海はまだ遠いのか
迫っているのか
見えないそこに向かって
流れはしずかに傾く
とてもわかりやすいイメージで、ああ、そんなものだろうな、と思わせてくれる。
「家」では、人が寝起きをして存在する場所に、「ふと、なぜ棲んでいるのだろうか」と考えている。その人にとっては、そこに棲んでいることが自己証明のような意味を持っているように思えていたのだろう。
夜空の下の
うごかない傾いた家を
わたしは脳裏に凝視める
あるはずの
だが すでにない
家を
どの作品も、思いの説明やつきつめた理屈を述べることはなく、ただしずかに自分の内側を見詰めた感覚を伝えてくる。それこそ、自在に形を変えて生命を潤している水のようだ。
前詩集は「水の感触」というタイトルで、作者は「水はわたしのいのちのみなもとであるという強い思いがある」と言っている。膨大な数の作品を収めているが、3年間に自己のブログに書いてきたものとのこと。日々の思いをそのまま言葉で書きとめているようで、自分をまっすぐに伝えようとしている。
「未完」は、人生を川の流れに見立てている。その流れは否応もなくひとつしかなく、「幾重にも折れ曲が」って海へ向かっていく。水の流れは、同時に時の流れでもあり、
海はまだ遠いのか
迫っているのか
見えないそこに向かって
流れはしずかに傾く
とてもわかりやすいイメージで、ああ、そんなものだろうな、と思わせてくれる。
「家」では、人が寝起きをして存在する場所に、「ふと、なぜ棲んでいるのだろうか」と考えている。その人にとっては、そこに棲んでいることが自己証明のような意味を持っているように思えていたのだろう。
夜空の下の
うごかない傾いた家を
わたしは脳裏に凝視める
あるはずの
だが すでにない
家を
どの作品も、思いの説明やつきつめた理屈を述べることはなく、ただしずかに自分の内側を見詰めた感覚を伝えてくる。それこそ、自在に形を変えて生命を潤している水のようだ。
わざわざコメントをありがとうございました。ますますのご健筆を祈念しております。
瀬崎 祐