88頁、同人は10人。前号からだったか判型がA5となり、手に馴染みやすいものになっている。
河口夏実は4編を発表している。描かれている内容とは別に、読むのが楽しいという作品を書かれる方がいる。私(瀬崎)にとって河口はそんな作者のお一人である。
「ちいさな海」。具体的には書かれていないのだが、何か気持ちの安寧を揺さぶるものがあるようなのだ。そんな話者は「からだが透けていることにも/気がつかないで/バスにゆられ」ているのだ。作品はそんな気持ちを抱えた彷徨いの様を、柔らかくなぞっている。最終連は、
死に絶えてゆくものを
近くに思うとき
枕を抱いて朝までねむる
駅がいくつも転がっていて
肩にもたれる
ゆるい鼓動を思い出としてちいさな海を
どこまでもいく
若尾儀武「無題詩編」は**で区切られた11の断章から成る。大きな音、十字架、降り始める雪、そしていくつもの章であらわれる老婆。説明でも理屈でもなく、ただ描かれる光景が一点に集約されていく。
いのちは戦火ゆえに削られるものか
そんなものではびくともせぬものか
それを知りたければなお
へルソン郊外
仮に設えたパン焼き器釜の前に座し
老婆は今日きっかりのパンを焼いている
ウクライナ戦火に材をとった作品を少なからず目にするが、本作は安易に感情に流されずに、それでいてきっちりと戦禍にある人を詩っていた。
陶原葵の評論「中原中也 つづれ」は「「Dada的」について」との副題が付いている。中原の作品には「ダダイズム的表現」と評されるものがあるわけだが、陶原は「西欧の本家とは少しく距離があるといえるかもしれない」としている。その検証は大変に興味深いものであった。
河口夏実は4編を発表している。描かれている内容とは別に、読むのが楽しいという作品を書かれる方がいる。私(瀬崎)にとって河口はそんな作者のお一人である。
「ちいさな海」。具体的には書かれていないのだが、何か気持ちの安寧を揺さぶるものがあるようなのだ。そんな話者は「からだが透けていることにも/気がつかないで/バスにゆられ」ているのだ。作品はそんな気持ちを抱えた彷徨いの様を、柔らかくなぞっている。最終連は、
死に絶えてゆくものを
近くに思うとき
枕を抱いて朝までねむる
駅がいくつも転がっていて
肩にもたれる
ゆるい鼓動を思い出としてちいさな海を
どこまでもいく
若尾儀武「無題詩編」は**で区切られた11の断章から成る。大きな音、十字架、降り始める雪、そしていくつもの章であらわれる老婆。説明でも理屈でもなく、ただ描かれる光景が一点に集約されていく。
いのちは戦火ゆえに削られるものか
そんなものではびくともせぬものか
それを知りたければなお
へルソン郊外
仮に設えたパン焼き器釜の前に座し
老婆は今日きっかりのパンを焼いている
ウクライナ戦火に材をとった作品を少なからず目にするが、本作は安易に感情に流されずに、それでいてきっちりと戦禍にある人を詩っていた。
陶原葵の評論「中原中也 つづれ」は「「Dada的」について」との副題が付いている。中原の作品には「ダダイズム的表現」と評されるものがあるわけだが、陶原は「西欧の本家とは少しく距離があるといえるかもしれない」としている。その検証は大変に興味深いものであった。