瀬崎祐の本棚

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詩誌「交野が原」  94号  (2023/04) 大阪

2023-03-22 23:50:55 | 「か行」で始まる詩誌
金堀則夫の編集・発行で、今号には31人の詩作品、3編の評論・エッセイ、それに14編の書評を掲載している。充実の詩誌。

「夜中にラーメンを食べる」高階杞一。
湯を沸かし、麺をほぐし、卵を落とし、といった独りきりの静かな些細な行動の時間の間にも、どこかで「人が死ぬ」ことに思いをはせている。

   火を止めて
   スープを入れてかき混ぜる
   この間にも
   どこからかミサイルが飛んできて
   人が死ぬ

そして最終部分、できあがったラーメンを食べる間にも「人が生まれる」。見えない場所でのそういうことを同時に孕んでいるのが、自分が存在している世界なのだということを感じている。たしかに、そういうことなのだな。

「少年の朝」八木幹夫。
連載4となっており、「兄の目」「日記」の2編からなっている。病で入院した兄を詩っているのだが、話者の少年時代に生じていた兄への屈折した思いが奔流となって吐露されている。劣等感の塊だった”兄の目”でわたしは毎日殺されていたのだ。入院した兄に話者は「死ぬなよ」と語りかける。それは「生きて/傷つけた弟を/少年時代を返」してほしいからに他ならない。最終部分は、

   兄さんの一生は休むことのない
   日々だった
   ぼくを何度も殺した兄さん
   今 死んでもらったらこまる
   ぼくの魂がこまる

すさまじいほどの兄に対する怨念が渦巻いている。その怨念が存在することで「ぼくの魂」が危うく踏みとどまっている。この緊迫した吐露に圧倒された作品。

今号には北原千代氏にお願いして拙詩集「水分れ、そして水隠れ」の書評を書いてもらった。過分なお褒めをもらえたのだが、その捉えは作者の意図を超える深みにまで到達していた。

    生きているとは、水と親和し、湯にその疲れを落としてはま
   た、滴るものをまとって走ること、そして死とは、記憶が葬り
   去られることなのだろうか。

私(瀬崎)は行分け詩「うぐいす通り」を発表している。

コメント
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