たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

土地への愛情

2019-12-16 09:42:21 | 神社と災害

 

  ***** 神社と災害 No.5 *****

なぜ日本全国津々浦々、

大都市のビルの谷間から

小さな集落の山の中にまで、

「神社」という聖域が存在し、

長い間大切に守られているのかと言えば、

それは「自然への感謝」が自分たちの命を

守ることにつながると、私たちの祖先が

直感で気づいていたからなのでしょう。

現代社会においては、

「異端」「非現実的」と言われる所業が、

知らず知らずの間に国や国民の命を救っているのです。

 

もちろんそれがすべての理由ではありませんが、

災害が甚大化しやすい地域というのは、

その土地の有力者の行動

(住民を危険にさらすような選択)や、

住民たちの意識(この土地は大丈夫という過信)

などに問題が潜んでいる場合が少なからずあります。

 

選挙ひとつをとっても、

特定の思想に染まった人間と、

日本や地元への愛情が強い人間と、

どちらが当選するのかによって、

その土地の災害リスクにも甚大な差が出るのですね。

 

私たち日本人ひとりひとりが、

自然や神を敬う習慣を取り戻さなければ、

日本という国は早々に消えて無くなります。

つらい状況に追い込まれて初めて、

自然への畏怖を感じるのではなく、

普段から常に「自然の中に神を観る心」を持つことで、

住民の心が正され、災害を最小限に抑える

エネルギーに変わるのかもしれません。


災害による気づき

2019-12-15 09:40:15 | 神社と災害

 

  ***** 神社と災害 No.4 *****

大きな自然災害が起こるたびに思うのは、

「人間の欲望なんてちっぽけなものだ」ということで、

大自然の力を目の当たりにすると、

昨日まで堂々めぐりしていた諸々の問題が、

いかに取るに足りない悩みだったかに気づきます。

命の危機を感じるような災害を経験した後、

被災者の死生観に変化が出るのも、

その人の心を厚く覆っていた

「自我」が強制的に吹き飛ばされ、

心の芯がむき出しになるからなのかもしれません。

 

天災というのは、人間に「大事なあること」

を気づかせるために起こる場合が間々あります。

逆に言えば、人間のほうが先にそのことに気づければ、

災害発生の確率は格段に下げられるのですね。

これからさらに、地球全体の地殻変動は本格化し、

世界各国で自然災害の嵐が吹き荒れるでしょう。

まずは自分を守る家族や先祖や精霊に、

そして地域の自然を守る氏神に、

感謝の気持ちを捧げることが大切なのだと思います。


神を感じ神を観る

2019-12-14 09:37:54 | 神社と災害

 

  ***** 神社と災害 No.3 *****

私たち日本人は、どんなに大きな天災に

見舞われても、決して神や自然を恨まず、

逆に見えない存在に「感謝を捧げること」で、

その後の災害の連鎖を乗り越えてきました。

 

だからこそ、災害発生時の極限状態に置かれても、

パニックにも陥ることもなく、毅然とした

心を保っていられる人が多いのだと思います。

 

きっと信仰の対象が、目に見える人間や物であれば、

非常事態に陥り崇拝の対象を見失った瞬間、

人としての尊厳を失うでしょう。

 

何もない空間に神を感じ、

何でもない景色に神を観る……。

 

日ごとに変わる四季の光景に彩られた、

神社の参道を歩いておりますと、

神様は特別な人間や建造物に宿るのではなく、

神様を敬う人々の心に宿るのだとわかります。

 

わざわざパワースポットなどに行かなくても、

心を癒し罪穢れを浄化する場所は、

私たちのすぐ近くにあるのかもしれません。


自然との会話

2019-12-13 09:32:07 | 神社と災害

 

  ***** 神社と災害 No.2 *****

1000年に一度とも言われるような大地震、

大津波、大水害、巨大台風……などを経験した今、

改めて思うのは「予測よりも防災が重要」

だということです。私たちに必要なのは、

自分の生活に即した防災対策を取ることと共に、

日本人が古来より守ってきた、

「自然への感謝の習慣」を取り戻すことなのでしょう。

 

日頃から神様や先祖を敬い、

氏神や産土神へ「感謝の気持ち」

を奉納する住民が多い土地は、

災害から守られる力が強くなるのですね。

 

現在、地球上の信仰の大部分は、

「偶像」や「特定の人物」への

崇拝を促すものだと思います。

神に対して感謝を捧げるのではなく、

目に見える対象を拝み、願いを叶えて

もらおうとする信仰がほとんどです。

 

「神に祈る」という姿は一緒でも、

「神様に向き合ったとき何を思うのか」で、

その後の展開やその人の人生は大きく変わります。

災害を抑えるために必要なのは、

日常的な自然との会話なのかもしれません。


防災強化期間

2019-12-12 09:15:30 | 神社と災害

 

 ***** 神社と災害 No.1 ***** 

先週、「体感 首都直下地震ウイーク」

というキャッチフレーズの元に、

NHKでは連日、東京圏を襲うであろう

大地震関連の番組が放映されておりました。

ネット上では様々な見解が飛び交っているようですが、

個人的な印象としては「ここまで迫って来てしまったんだ」

という強い切迫感を覚える内容だったと感じます。

 

番組の中でも繰り返し

「あえて衝撃的な映像もお伝えしております」

というアナウンスが入っていたように、

今回の企画の意図は「人々の思考を刺激する」

「人々に現実を見てもらう」ことにあったのでしょう。

逆に言えば、それくらい今現在の国民全体の

「危機意識」が薄れていたわけで、

生易しい映像やありきたりの防災喚起では対応できないほど、

私たちの意識は「眠ったまま」だったのかもしれません。

 

というわけで、次回以降は別テーマの記事を

用意していたのですが、「縄文」の目覚めと共に、

私自身の中の「眠っていた危機意識」も

一気に刺激されてまいりましたので、

こちらも「防災強化期間」と題しまして、

過去に書き起こした記事などを再編集しながら、

しばし「神社と災害」について書き綴ってみるつもりです。


新たなピース

2019-12-11 09:50:44 | 縄文への旅

<三内丸山遺跡・縄文時遊館>

 

数か月間にわたり、「縄文時代」

について考察してまいりましたが、

記事内で取り上げた遺跡および遺物は、

全体から見ればほんのわずかでして、

青森だけでなく信州や東日本、

さらには全国各地を含めると、

膨大な量の「縄文」が私たちの足元に眠っています。

 

ゆえに、まだまだ取り上げたいテーマは

山ほどあるものの、他の遺跡にも足を運んだ上で、

改めて記事にできればと考えておる次第……。

縄文に興味がある方、神社マニアの方にとっては、

読んでいて物足りない部分、あるいは「?」

と感じるような部分も多々あったかと思いますが、

なにとぞご了承いただければ幸いです。

 

しかしながら、古代日本という舞台は、

知れば知るほど「謎」と「発見」が増える、

まさにミラクルワールドでして、

まったく無関係だと思われていた二つの事象や、

まったく縁がないと思われていた別々の土地が、

まるでパズルのピースがピタッとはまるように

つながることが頻繁にあります。

 

そして、古代日本で起きた出来事が、

まるでリピート再生するかのように、

現代に蘇っていることをつくづく実感するのです。

古代史や縄文をひも解くという一連の仕業は、

私たち日本人が生き延びるための、

大切な知恵を与えてくれるのでしょう。


言葉に宿る神

2019-12-10 09:45:34 | 縄文への旅

<国立民族学博物館>

 

昨日「生き物の模写」に関する記事を書きましたが、

同じようにアイヌの人々は「言葉」に関しても、

非常に繊細な感性を持ち合わせていました。

何でもアイヌの人々の間では、

他人を貶めるような言葉は絶対に口に出さない、

あるいは他人と同じ名前は絶対につけない……

などの決まりがあるそうで、

もし仮に、誰かと同じ名前をつけた場合、

相手の災い等が自分自身に伝播するのだとか……。

 

まあ、現代人にしてみれば、単なる「道徳的」

「スピリチュアル的」な思考でしかありませんが、

「言葉」を扱う身にとっては、

非常に共感できる部分があるのも確かでして、

文字を持たない縄文時代の人々が、

自らが発する「言葉」に対して、

相当神経を払っていたのは事実だと思うのです。

 

恐らく、縄文の血を引くアイヌの人たちも、

言葉を操ることで「神」とつながり、

また、言葉を操ることで「災厄」を

起こすことも可能だったのでしょう。

「言霊」の効力や「言葉に宿る神」

の存在を肌身で感じていたからこそ、

自他の「命」を慈しむように、

慎重に言葉を選んでいたのかもしれません。


アイヌの文様

2019-12-09 09:42:21 | 縄文への旅

<国立民族学博物館>

 

アイヌと縄文人とのつながりについては、

専門家の間でも意見が分かれるようですが、

アイヌに残る様々な思想や習俗を調べておりますと、

個人的にはやはり両者の間に深い結びつきを

感じるのも確かです。そのひとつが、

アイヌの人々の間に伝承される「文様」でして、

その幾何学的な図形の繰り返しを伴うデザインは、

どう見ても縄文土器のそれを想像せずにはいられません。

 

ちなみに、アイヌの人たちは、「絵」や

「生き物の造形物」などを極力避けていた節があり、

アイヌの血を引く老人が、動物の着ぐるみを着た人を見て、

「何と恐ろしいことを……」と卒倒したという話も聞きます。

恐らく、縄文人と同じようにアイヌの人々にとっても、

「神」が宿る動物や自然界の生物を安易に模写することは、

タブー中のタブーだったのでしょう。

 

縄文人が、大胆にデフォルメした図柄を土器に用いたり、

わざと人間離れしたフォルムの土偶を造ったりしたように、

アイヌの人たちも命あるものを「生き写しにする」ことに、

ある種の畏れを感じていたと考えられるのです。


続縄文時代

2019-12-08 09:16:46 | 縄文への旅

<国立民族学博物館>

 

西日本一帯が「弥生」と呼ばれる時代に入ってからも、

頑なに縄文文化を守り続けた、

東北、信州、関東など東日本一帯でしたが、

四方八方から押し寄せる「新時代の波」には逆らえず、

次第に弥生文化に飲み込まれて行きました。

そんな中、日本列島のある一部の地域だけは、

いわゆる「弥生化」することなく、

今日にまで至っているという事実をご存知でしょうか? 

 

その地域とは、ずばり「北海道」でして、

何でも冷涼な気候のせいで稲作が根づかなかったため、

必然的に「縄文」を維持し続ける結果になったのだとか……。

日本の全土が弥生一色に染まって以降も、

約1,000年間にわたり「続縄文時代」

と呼ばれる狩猟採集生活を続け、

のちの「アイヌ」の人々へと血脈をつないだと聞きます。

 

つまり、弥生化の波をかいくぐった「北海道縄文人」こそが、

縄文人のDNAを最も色濃く継承している人々であり、

現在のアイヌの人々の暮らしの中に、

かなり高密度の「縄文」が残されていると

考えても差し支えないのでしょう。


四国とユダヤ

2019-12-07 09:13:36 | 縄文への旅

<見ノ越・剣神社 つるぎじんじゃ>

 

縄文時代の人口推移の資料

を眺めているとき気になったのが、

縄文時代後半、九州を始めとする西日本で、

一時的に人口増加の傾向が見られるということです。

中でも「四国」の人口の急増は、

素人の目にも少々不自然に映ったため、

つらつらとその理由を探してみたところ、

行き当たったのは同時期に起きたと

思われる「エジプト」での事象でした。

 

先日の記事内でも書いたように、

縄文後期(約4,000年前~3,000年前)、

神の啓示を受けたモーゼが、

ユダヤ人を連れてエジプトを脱出し、

「東の楽園」を目指したという逸話が存在します。

また、四国の剣山周辺には「イスラエル伝承」

が色濃く残り、オカルトマニアを中心に

根強い支持を集めていることは、

以前のブログにも記したので御存じでしょう。

 

そうなると気になるのが、

「四国においてはD系統遺伝子の

保有者の割合が全国平均より低い」

という調査結果かもしれません。

まあ、少々話が複雑になるので、

今の段階では保留にしますが、

いずれにせよエジプトを脱出したモーゼが、

その時期「日本にやってきた」と空想すると、

縄文後期から弥生時代にかけての景色が、

さらに立体的にイメージできるのですね。


縄文がえり

2019-12-06 09:55:45 | 縄文への旅

<国立歴史民俗博物館>

 

西日本各地で稲作文化が広まり、

中国地方では弥生系の新たな呪術、

つまり「渡来系呪術」が浸透し始めたその頃、

青森を中心とする北東北一帯では

「縄文がえり」とも呼ぶべき現象が起こっていました。

青銅器を始めとする金属製の用具はもちろんのこと、

せっかく整えた水田稲作のシステムまで放棄し、

まるで「弥生」のすべてから身を引くかのように、

縄文への回帰を選んだ東北縄文人の

姿が浮かび上がってくるのです。

 

一方、あれほど多彩だった「縄文の呪術具」に関しては、

どういうわけか彼らが再び手に取ることはなく、

かろうじて「土偶」を細々と造り続けていたくらいで、

他の土版や石棒などは早々に姿を消したと聞きます。

もしかすると東北地方の縄文人は、

「行き過ぎた偶像崇拝」の弊害や、

多くの犠牲を伴う渡来系呪術の危うさに直面し、

一旦「引きこもる」ことを決めたのでしょうか……。

 

後世になって「ヤマト系の神社」が

東北に進出できなかった理由も、

この時期の東北縄文人の

「引きこもり」に端を発すると考えれば、

個人的には非常に納得する部分があるのですね。


縄文呪術の空白域

2019-12-05 09:33:42 | 縄文への旅

<国立歴史民俗博物館>

 

「移住生活」を優先し、少人数での移動を

繰り返していた中国地方の縄文人たちは、

他の地域に比べて集落の人数や

対人ストレスが少なかったため、

集落内で葬送の儀式を行ったり、

魔除けなどの「呪術」を施したりする

機会があまりなかったと聞きます。

ゆえに彼らは、「見えないもの」

に頼らなくても生きていけるような

生活スタイルを維持できたのだそう……。

 

これらの事象を逆から見れば、

それだけ中国地方の縄文人は、

「縄文呪術」に対しての執着がなかったともいえるわけで、

ある意味そのあたりの「隙」を突くかのように、

「渡来系呪術」が浸透した可能性もあるのでしょう。

恐らく、弥生系の呪術というのは、

縄文系の呪術以上に「実践力」があったため、

渡来人や稲作文化の到来とともに、

爆発的に人口が増えた西日本の人々にとっては、

非常に魅力的なツールだったのかもしれません。

 

「葬送儀礼」に関わる渡来系の氏族が、

岡山や兵庫などを拠点に定めたのも、

もしかすると、中国地方というエリアが

「縄文呪術の空白域」だったからなのでしょうか……。


中国地方の動き

2019-12-04 09:25:48 | 縄文への旅

<国立歴史民俗博物館>

 

弥生時代に突入して以降も、

縄文色を頑なに守り続けた東北北部とは逆に、

縄文晩期の西日本の(特に中国地方)に関しては、

人口や縄文遺跡の数はもちろん、土偶や石棒など

呪術具の出土数も極端に少ないと聞きます。

つまり、中国地方の縄文人は他の地域に比べると、

「呪術」や「縄文文化」に対する執着が

薄かったとも想像できるのですね。

 

そこで思い浮かぶのが、出雲や播磨など

中国地方の神社を巡る中で接した

「渡来人の色濃い痕跡」でした。

先ほどの現象を踏まえれば、

中国地方と渡来人とが深く結びついたのも、

「縄文集落の少なさ」や「縄文人の人口密度」

の影響があったのかもしれません。

 

一説に、中国地方に居住していた縄文人は、

「定住生活」よりも「移住生活」を

優先したともいわれていますし、

東北や信州に居住する縄文人とは、

価値観も幾分異なっていたのでしょう。

個人的には、中国地方に住む縄文人の

「柔軟性」や「こだわりのなさ」が、

「渡来人の集結」というこの地特有の

現象を引き起こしたようにも感じるのです。


北東北の動き

2019-12-03 09:18:45 | 縄文への旅

<国立歴史民俗博物館>

 

縄文時代の日本の人口比率が、

東日本に極端に偏っていたことは

良く知られていますが、弥生時代になると、

逆に西日本の人口が爆発的に増えて行きます。

また、日常生活で使用する道具ひとつをとっても、

弥生時代に移行するに従い、

女性が制作していたとされる

独創的な「土器」や「土偶」は姿を消し、

男性主導で製造が行われた「金属製品」が

大多数を占めるようになるのです。

つまり、縄文時代と弥生時代以降とでは、

社会構造が正反対になってしまったわけで、

縄文の人々が弥生人の価値観を受け入れるまでには、

相当大きな壁があったことは想像に難くありません。

 

そのことを示すかのように、他の地域が

弥生色に染まりつつある時期の東北北部では、

青銅器を始めとする金属器がほとんど普及せず、

かろうじて始まった灌漑水田稲作に関しても、

残された遺跡からは鋤や鍬などの農具ではなく、

土偶などの呪術具などが多数発見されるのだとか……。

さらには、それらの水田も稲作が開始されて間もなく、

何らかの理由で耕作放棄されてしまった

という話もありますし、縄文時代から

弥生時代にかけての青森県近辺では、

独自の動きが出ていた可能性が伺えるのですね。


ユダヤ系渡来人

2019-12-02 09:08:38 | 縄文への旅

<橿原神宮>

 

非常に古い起源を持ち、また世界的に見ても希少な

血統である「D1b系統(旧:D2系統)のY染色体」は、

日本人男子の約3割のみが継承する日本人特有の遺伝子です。

もしかするとそれらは、縄文以前の時代から

脈々と継承されてきた超古代の遺伝子型であり、

モーゼ・イザヤ・神武天皇……など

「古代ユダヤ」と縁する偉人たちも、

この遺伝子と深く関わる人物なのかもしれません。

そして当時は、このD1b系統のY染色体を

有する人物でなければ、日本の地に適合できない

という厳密なルールが存在した可能性もあるのでしょう。

 

「渡来人」との噂も根強い神武天皇ではありますが、

もし仮に神武天皇が日本人ではなかったとしても、

大元をたどれば日本人と同じ遺伝子型を

所有していた「同郷人」だったとも考えられます。

「YAP(ヤップ)」の印が刻まれた

E系統のユダヤ人と私たち日本人は、

ときに近づきときに離れる中で、

それぞれ陰と陽の役目を果たしながら、

歴史の中心的役割を担ってきたのかもしれませんね。