たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

北東北の動き

2019-12-03 09:18:45 | 縄文への旅

<国立歴史民俗博物館>

 

縄文時代の日本の人口比率が、

東日本に極端に偏っていたことは

良く知られていますが、弥生時代になると、

逆に西日本の人口が爆発的に増えて行きます。

また、日常生活で使用する道具ひとつをとっても、

弥生時代に移行するに従い、

女性が制作していたとされる

独創的な「土器」や「土偶」は姿を消し、

男性主導で製造が行われた「金属製品」が

大多数を占めるようになるのです。

つまり、縄文時代と弥生時代以降とでは、

社会構造が正反対になってしまったわけで、

縄文の人々が弥生人の価値観を受け入れるまでには、

相当大きな壁があったことは想像に難くありません。

 

そのことを示すかのように、他の地域が

弥生色に染まりつつある時期の東北北部では、

青銅器を始めとする金属器がほとんど普及せず、

かろうじて始まった灌漑水田稲作に関しても、

残された遺跡からは鋤や鍬などの農具ではなく、

土偶などの呪術具などが多数発見されるのだとか……。

さらには、それらの水田も稲作が開始されて間もなく、

何らかの理由で耕作放棄されてしまった

という話もありますし、縄文時代から

弥生時代にかけての青森県近辺では、

独自の動きが出ていた可能性が伺えるのですね。