たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

縄文がえり

2019-12-06 09:55:45 | 縄文への旅

<国立歴史民俗博物館>

 

西日本各地で稲作文化が広まり、

中国地方では弥生系の新たな呪術、

つまり「渡来系呪術」が浸透し始めたその頃、

青森を中心とする北東北一帯では

「縄文がえり」とも呼ぶべき現象が起こっていました。

青銅器を始めとする金属製の用具はもちろんのこと、

せっかく整えた水田稲作のシステムまで放棄し、

まるで「弥生」のすべてから身を引くかのように、

縄文への回帰を選んだ東北縄文人の

姿が浮かび上がってくるのです。

 

一方、あれほど多彩だった「縄文の呪術具」に関しては、

どういうわけか彼らが再び手に取ることはなく、

かろうじて「土偶」を細々と造り続けていたくらいで、

他の土版や石棒などは早々に姿を消したと聞きます。

もしかすると東北地方の縄文人は、

「行き過ぎた偶像崇拝」の弊害や、

多くの犠牲を伴う渡来系呪術の危うさに直面し、

一旦「引きこもる」ことを決めたのでしょうか……。

 

後世になって「ヤマト系の神社」が

東北に進出できなかった理由も、

この時期の東北縄文人の

「引きこもり」に端を発すると考えれば、

個人的には非常に納得する部分があるのですね。