たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

中国地方の動き

2019-12-04 09:25:48 | 縄文への旅

<国立歴史民俗博物館>

 

弥生時代に突入して以降も、

縄文色を頑なに守り続けた東北北部とは逆に、

縄文晩期の西日本の(特に中国地方)に関しては、

人口や縄文遺跡の数はもちろん、土偶や石棒など

呪術具の出土数も極端に少ないと聞きます。

つまり、中国地方の縄文人は他の地域に比べると、

「呪術」や「縄文文化」に対する執着が

薄かったとも想像できるのですね。

 

そこで思い浮かぶのが、出雲や播磨など

中国地方の神社を巡る中で接した

「渡来人の色濃い痕跡」でした。

先ほどの現象を踏まえれば、

中国地方と渡来人とが深く結びついたのも、

「縄文集落の少なさ」や「縄文人の人口密度」

の影響があったのかもしれません。

 

一説に、中国地方に居住していた縄文人は、

「定住生活」よりも「移住生活」を

優先したともいわれていますし、

東北や信州に居住する縄文人とは、

価値観も幾分異なっていたのでしょう。

個人的には、中国地方に住む縄文人の

「柔軟性」や「こだわりのなさ」が、

「渡来人の集結」というこの地特有の

現象を引き起こしたようにも感じるのです。