<国立歴史民俗博物館>
弥生時代に突入して以降も、
縄文色を頑なに守り続けた東北北部とは逆に、
縄文晩期の西日本の(特に中国地方)に関しては、
人口や縄文遺跡の数はもちろん、土偶や石棒など
呪術具の出土数も極端に少ないと聞きます。
つまり、中国地方の縄文人は他の地域に比べると、
「呪術」や「縄文文化」に対する執着が
薄かったとも想像できるのですね。
そこで思い浮かぶのが、出雲や播磨など
中国地方の神社を巡る中で接した
「渡来人の色濃い痕跡」でした。
先ほどの現象を踏まえれば、
中国地方と渡来人とが深く結びついたのも、
「縄文集落の少なさ」や「縄文人の人口密度」
の影響があったのかもしれません。
一説に、中国地方に居住していた縄文人は、
「定住生活」よりも「移住生活」を
優先したともいわれていますし、
東北や信州に居住する縄文人とは、
価値観も幾分異なっていたのでしょう。
個人的には、中国地方に住む縄文人の
「柔軟性」や「こだわりのなさ」が、
「渡来人の集結」というこの地特有の
現象を引き起こしたようにも感じるのです。