たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

言葉に宿る神

2019-12-10 09:45:34 | 縄文への旅

<国立民族学博物館>

 

昨日「生き物の模写」に関する記事を書きましたが、

同じようにアイヌの人々は「言葉」に関しても、

非常に繊細な感性を持ち合わせていました。

何でもアイヌの人々の間では、

他人を貶めるような言葉は絶対に口に出さない、

あるいは他人と同じ名前は絶対につけない……

などの決まりがあるそうで、

もし仮に、誰かと同じ名前をつけた場合、

相手の災い等が自分自身に伝播するのだとか……。

 

まあ、現代人にしてみれば、単なる「道徳的」

「スピリチュアル的」な思考でしかありませんが、

「言葉」を扱う身にとっては、

非常に共感できる部分があるのも確かでして、

文字を持たない縄文時代の人々が、

自らが発する「言葉」に対して、

相当神経を払っていたのは事実だと思うのです。

 

恐らく、縄文の血を引くアイヌの人たちも、

言葉を操ることで「神」とつながり、

また、言葉を操ることで「災厄」を

起こすことも可能だったのでしょう。

「言霊」の効力や「言葉に宿る神」

の存在を肌身で感じていたからこそ、

自他の「命」を慈しむように、

慎重に言葉を選んでいたのかもしれません。