***** 神社と災害 No.11 *****
「縄文海進」と呼ばれる現象がピークを迎えた、
5,000年~6,000年前の縄文時代、
関東平野を始めとする海沿いの
平野のかなりの部分は海の中でした。
一説によりますと、沿岸部にある
神社の多くが高台に鎮座するのは、
「縄文海進」が終了したのちに海水面が下がり、
海辺だった一帯が陸地化した結果、
岬の先端などにあった祭祀場が
「丘」になったからだそうです。
それが事実だとすれば、
津波被害を免れた来歴不詳の「古い神社」は、
もともとは「縄文時代の祭祀場」であり、
縄文海進の時代の海岸線に沿って
設けられていたとも考えられますね。
貝塚などの「縄文遺跡」が海から
離れた場所に点在するのも、
同じく縄文海進後の海岸線の
後退が原因だと言われていますから、
現在の海辺よりも幾分内陸に入ったあたりに、
当時の「聖地」が眠っている可能性もあるのでしょう。
もしかすると、縄文時代の海岸線のラインと、
東日本大震災における津波の到達ラインとの間にも、
何か深い関連があるのかもしれません。