<国立歴史民俗博物館>
「移住生活」を優先し、少人数での移動を
繰り返していた中国地方の縄文人たちは、
他の地域に比べて集落の人数や
対人ストレスが少なかったため、
集落内で葬送の儀式を行ったり、
魔除けなどの「呪術」を施したりする
機会があまりなかったと聞きます。
ゆえに彼らは、「見えないもの」
に頼らなくても生きていけるような
生活スタイルを維持できたのだそう……。
これらの事象を逆から見れば、
それだけ中国地方の縄文人は、
「縄文呪術」に対しての執着がなかったともいえるわけで、
ある意味そのあたりの「隙」を突くかのように、
「渡来系呪術」が浸透した可能性もあるのでしょう。
恐らく、弥生系の呪術というのは、
縄文系の呪術以上に「実践力」があったため、
渡来人や稲作文化の到来とともに、
爆発的に人口が増えた西日本の人々にとっては、
非常に魅力的なツールだったのかもしれません。
「葬送儀礼」に関わる渡来系の氏族が、
岡山や兵庫などを拠点に定めたのも、
もしかすると、中国地方というエリアが
「縄文呪術の空白域」だったからなのでしょうか……。