<東祖谷名頃・かかしの里>
「日本のチベット」との異名を持つ
東祖谷名頃のかかしの里で出会った、
地元のおばあさんは、
「雪が降ると本当にたいへんだけど、
花の季節も紅葉の時期もきれいだし、
麓へ行くにも3つも道があるから、
それほど生活には困らないよ」と、
剣山最奥の地での暮らしについて語ってくれました。
麓までの道…とは言っても、
そのどれもが細く狭い山道で、
大雨で土砂崩れなどが起きれば、
すぐに通行止めになるような状況です。
ちなみに週に一度やってくる移動販売車は、
「自分で行ったほうが早いから利用しない」とのこと。
熊野の山中の集落でも、同じような話を聞きましたが、
山間地に住む人々の感覚は常識では図れないのでしょう。
平地や町に住む人間から見ると、
「なぜそんな僻地に」「なぜそんな高地に」
と思うような、深い山奥の集落での生活には、
私たちの気づかないメリットが潜んでいるのだと思います。
その昔、この山の上に一大都市を築いた古代の人々も、
他の地域にはない「剣山ならではの何か」
を見つけたからこそ、この地を選んだのかもしれません。