<東祖谷名頃・かかしの里>
先日ネットで、かかしの里で人形を作り続ける、
地元の在住の作者の方への取材映像を見ました。
村の至る所に置かれた人形の中には、
集落で暮らす住民に似せたものはもちろん、
すでにお亡くなりになられた方の姿を象ったものも、
少なからず混じっていると聞きます。
きっと近所の人たちはその人形を見るたびに、
故人のことを思い出すのでしょう。
その方は、集落の人々を喜ばせるために、
人形を作り続けているとおっしゃっていましたが、
制作の様子を眺めている最中、
ふいに頭の中をよぎったのは、
「供養」という言葉でした。
一体一体の人形を愛おしそうに見る目は、
どこか「死」という対象を
捉えていたように感じます。
近隣の病院まで1時間半もかかるこの地では、
一度倒れれば死をも覚悟しなければなりません。
恐らく、利便性のよい地域でなら助かった命も、
僻地に住むがゆえ助からない場合もあるのです。
もしかすると、この地で私が感じた
「かかしに見られている」という感覚は、
「忘れないで欲しい」という、この地に眠る
故人たちの切なる願いだったのかもしれません。