○4年生の頃⑦
卒論を提出し終わり、卒論発表会となった。実はこの年は、担当の中村先生がゼミ形式で2回ほど勉強会を開いてくださったので、その際に途中経過を報告するなどしていて、発表もその延長線上にあるものと、気楽に臨むことができた。
どんな発表をしたのか、先生方からどんな批評を頂戴したのか、いずれも覚えていないが、資料をよく調べていること、ペン字が下手なので次はワープロを勉強しなさいと言われたことを覚えている。後者の批評は同じ専攻の先輩や後輩達の目の前で言われたので、前々からコンプレックスを感じていたとは言え、かなり恥ずかしかった。
提出された卒論と、別添の資料集「陳鴻壽作品集」は一冊にまとめて製本され、芸術学系の書庫に収まっているが、私が筑波にいた頃は、それまでで最も厚いものであり、ちょっと恥ずかしかった。
卒業制作展は、市内のつくば美術館で行われた。私は展覧会の運営委員だったので、準備から当日までずっと会場に詰めていた。展覧会の看板を急に依頼され、慌てて2枚を書いたのだが、思いがけず先生方からお褒めの言葉を頂いて、汗顔の至りだった。
展覧会全体の展示計画は彫塑専攻の友人が担当してくれたが、他の専攻に比べて作品の規模は小さいものの数が多い書コースの作品について、作品のミニチュアを作った上で計画を作成してくれ、しかも展示もうまくいったので、本当にありがたかった。しかし、それでも洋画や日本画の作品に比べて規模や迫力という点で見劣りしていたのは言うまでもない。それ以前に東京学芸大や新潟大の書道専攻の展覧会を見に行ったことがあるが、そこで見た作品と比べても、明らかに迫力不足であった。確かに練度という面では比肩しているのかも知れないが、技官の小西さんがいつも言っていた、「大学生らしい元気のよい作品を。」という言葉を身にしみて感じられたことであった。
卒業制作が終わると、4年間を共に過ごした仲間達との、寂しく辛い別れが待っていた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます