*修了制作について
修了制作のうち、仮名の書については「高野切古今集」の巻一(第一種書風)と、巻十八(第三種書風)を復元臨書した。この作品については以前に書いたこともあるが、改めてここで記しておこう。
大学四年の時の学園祭で、ある先輩が高野切古今集巻一の現存する断簡全部を臨書して一巻にまとめて出品していた。その種本である「古筆学全集」を見てみると、断簡でありながら、連続して現存しているところもあり、全体の半分以上残っていて、失われているところを倣書して埋めれば、巻一を復元できるのではないかと思われた。
そこへ、大学院入試で思いがけなく高野切第一種が臨書課題で出題され、出来の悪かった私の作品を、仮名の書の担当であった先生が揶揄するような発言を友人にしたということを伝え聞き、これは何とかして先生の鼻をあかしてやらなくてはならない、と強く心に思った。
そして、以上の二つの事柄が重なって、「高野切巻一を復元して先生の鼻をあかして見せよう。」と決意して、自分なりに資料を集め、十分に準備を重ねて、翌年の秋に一応完成させた作品を先生に見せたのであった。先生の驚いた顔は今でも忘れられず、私の”復讐”は見事に達成されたと思った。
その後完成させた巻一に加え、やはり半分以上現存している巻十八も復元し、この二巻を修了制作に発表しようと決めたのであった。巻十八は第三種書風であるが、私には第一種書風よりも肌に合っていたため、復元もスムーズに進んだ。巻十八についても、先生には見せずに自分で制作を進めてきたので、完成形を先生に示した時の、やはり先生の驚いた顔は、今でも忘れられない。
この二巻は、大学を去るに当たって先生に寄贈し、先生は約20年にわたって、後輩の学生達に示して、こうした復元、さらには全く現存していない巻を0から復元するという作業のきっかけとしたのである。そして、20巻全部の復元が終わった平成23年の2月に、この2巻の巻物は私の手元に戻ってきた。
修了制作展も終わり、私は今後不可能になる料紙加工の道具を利用してはがきの加工を進めた。思い思いに加工を進めながら、こんな恵まれた環境で過ごすことができて本当に良かったな、大学を離れて国語教師となったら、こんなことからもすっかり縁遠くなってしまうんだな、という思いにとらわれていた。
部屋の荷物を何回かに分けて自宅に持ち帰って、部屋がすっかりがらんとした、修了式を直前に控えた3月20日だったろうか、桐生高校の校長から電話が入り、私は桐生高校に国語教師として赴任することが決まったのだった。