○運命の出会い9
私は劣等生だったし、運動もできなかったので、高校では部活動はやらないつもりでいた。
書道の授業が始まったが、中学校の書写の授業とは異なり、とても本格的で、毎時間毎時間楽しみでならなかった。作品を毎回1枚提出するのだが、西林先生は毎回評価してくれ、優秀作品として展示してくれた。
そんな6月のある日、先生が「キミは部活動はやっているかね?」と聞いてきた。私は「入ってません。」と答えた。すると先生は「君は力があるから書道部に入らないかね?」と言った。私はなぜか即座に「はい。」と答えた。
その日の放課後から、私は書道部員になった。書道室に行くと2,3年の先輩がいた。同じクラスの竹内君もいた。皆は7月の展覧会の作品の手本を選んでいた。私も行草書で書かれた手本を選んだ。
部活動は面白かった。私がこれまでも授業でも書いたことのない書体だったから特に新鮮に感じられた。先輩も気さくな、それでいて深い知性を感じさせる人(その時の1,2年生5人のうち、私以外の4人は、後に国立大の医学部に3人と、名古屋大学にそれぞれ進学した優秀な人達ばかりであった)だったから、自分の知らない世界をいろいろ教えてもらえた。それに、中学時代に部活動をまともにやらなかった私には、先輩との上限関係を学ばされる場でもあった。失礼な態度を取ると容赦なく注意された。
先生も普段の授業と違って、いろいろと書いて見せてくれた。先生の書技は魔法のように見えた。同じ道具を使っているのに、いとも容易くさらさらと書き流す様が信じられなかった。
また、先生の書風の多彩さにも驚かされた。展覧会のために私達に示された手本は、五つの書体の様々な書風で書かれていた。私もこのように様々な書体・書風で書きたいものだと思った。
さらに魅力的だったのは、書道準備室だった。そこには先生が自らの作品制作のために書いた作品がたくさん置かれていた。私は先生がいなくなると準備室に入り、そうした作品を見てみるのがとても楽しかった。時に先生と鉢合わせしてしまい、気まずい思いをすることもあったが、先生はちょっと注意するだけで、あとは何も言わなかった。
先生は時に作品制作を私達と一緒に行うこともあった。私達が使っているのよりもずっと大きな紙に、ある時は軽快に、ある時は力強く筆を運び、そのたび事に全く異なる書風の作品が出来上がる。またある時は、先生は私に先生自身の作品を批評するようにも言った。何と言ってよいかわからず、何か思いついたことを適当にしゃべったように記憶している。
私が苦手な篆書を除いて、一つの書風・書体にこだわらず作品を制作するようになったのは、先生の影響であることは間違いない。