連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

赤ちゃんポスト;現実と建前論

2007-04-06 06:38:23 | 日記・エッセイ・コラム

熊本の慈恵病院から、熊本市に設置許可願いが提出されたと報道された2006年11月末以来、

安部首相、柳沢厚生労働大臣は不快感を示していた。

美しい日本とはかけ離れたをつきつけられた格好ですから、不快、あってはならないので否定されるのでしょうか?両人とも、言葉の端はしに、現実を解決出来ない、方策が後回しとなることへの責任感がにじみ出てこないのは、どういうことなのでしょうか?

医療現場では、人間として共通する変化と、個性あふれる変化が4,6時中起きるのが常識的な環境です。知識としてしっていも、標準偏差から大きくずれた病的変化は、想定内であって、すばやく対応しても追いつかない変化で、想定内でも対応できないことがおきます。

現実の厳しさ煮対応するための新し知識、手技を身につける取り組み準備をととのえるのですが、出番は来ないほうがいいが、いざ対応しなければいけないときに錆び付いて使いものにならないための努力はストレスそのものです。首相も、厚生労働大臣も現実に対応できていない責任というものを切実に考えていないので、建前のきれいごとばかりで不快感をしめせるのだろう。責任を感じたら、不快なんていっていられないような気がする。

医療保険の査定が、現実と建前論のせめぎあいそのもの。

病気は、重症になればなるほど、建前を公的機関からつきつけられて、”医の倫理”が”公的機関の経済論、手続き重視”の前で切り捨てられて、経済的ダメージを受けて、すこしづつ医の倫理、生命重視の気持ちを押しつぶされる。公的機関によるトラウマです。

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