迷走していた「たんなさん」のつぶやき

※個人の感想です・・・

あなたにも伝えたい ──土佐の棄権に思うこと──

2008年08月19日 | スポーツ
女子マラソン、野口さんに続いて土佐さんも途中棄権してしまい、いろいろな議論があるようです。
が、THE STADiUM──土佐の棄権に思うこと──のコラムを読んで、土佐さんの苦しみを知らず、テレビの前でため息をついていた自分を含めたみなさんに、こんな話があったことをお伝えしたくなりました。
──土佐の棄権に思うこと──
昨日もやはりスタートラインに立ったというのに、あまり辛い棄権を見ることになってしまいました。ここまで一度もマラソンで棄権しなかった土佐が、勝負する最後のマラソンと決めたオリンピックで棄権したことに、掛ける言葉はありません。ただ、こんな幸運があるのだと不思議に思ったことがあります。ご主人の村井啓一さんが、25km地点にいた、ということです。「まだ(集団に)付いています」と、5kmごとに私は連絡を入れました。そのとき、「僕はこれから35kmに向かいます」と言っていたのですが、連絡した直後の15km過ぎで、足を引きずっているのが分かりました。何とか35kmまでと、先に走った村井さんに電話で「集団から脱落した」と伝えるのは辛くて「35より戻れますか?」と中途半端なメールを打ちました。後で聞くと、村井さんはこれで、私が、棄権が近いと言っているのだと理解し、厳戒体制の警備が敷かれた沿道を、地下鉄の乗り降りで追う時間がないのでコースを逆走したそうです。途中、テレビカメラは振り切られているほど、彼のスピードは凄まじいものだったと思います。
前日、25kmから35kmを2人は散歩していたそうです。棄権の場合の下見などではありませんから、土佐も35kmにいるのだとばかり思っていて、村井さんの声が聞こえたときには、空耳かと思った、と言っていました。
高校生と練習してもいつもビリ、恐ろしいほど遅かった女子大生ランナーを、陸上部の先輩はいつも温かく見守っていたはずです。トップランナー土佐礼子の「原点」を一番知っているのは彼でしょう。その人が、「レイコ、レイコ! もういいよ! もう止めろ!」と叫んで、土佐はレースで初めて足を止めたのです。私は、競技とは別の次元で、「完璧なゴール」だと思いました。もういい、ゴールを目指すことであり、痛みとの戦いであり、陸上のキャリアそのものへの声なのだから、と。
アテネ五輪で、世界記録保持者のラドクリフが棄権し、沿道の縁石に座って号泣していたのを見て、マラソン選手がゴールしないで途中で「迷子」になったときの弱々しさは、世界記録保持者でも変わらないのだと胸が痛くなりました。
だから、滞在わずか3日の見知らぬ土地で、しかもどこで痛みが出るか分からず、国内のように細かなレース情報も土地勘もまったくない中、夫が妻の棄権に間に合って立ち合っていたなんて、私は信じられませんでした。国内だって無理でしょう。
土佐が愛する人の胸に抱えられてレースを止めたことを、私は良かった、と安堵しました。そしてそこには、これもまた偶然、高校の恩師もいたのだそうです。土佐は、救急車に乗りながら、どうして2人がいるの? と言っていたそうです。学生時代の風景だったのかもしれません。
土佐礼子は五輪で不運だったかもしれないけれど、村井礼子は何と幸運だったかと思いました。そしてそのことは、きっと次のスタートになると、落胆している2人、監督、家族のみなさんには申し訳ないが、勝手ながら思っています。昨日の辛すぎるレースから、それでも何とか笑いたい、と探した答えです。
有森裕子さんのバルセロナ五輪の銀メダル以来、日本女子マラソンのまぶしい黄金時代、五輪連続メダルをずっと目撃してきました。しかし昨日、メダルを失ったときに、何だかホッとしました。不思議なものです。
「さくら」は1点で負けましたが、夜には「なでしこ」も控えます。本日も北京は快晴、昨日までと変わって、少し爽やかな風が吹き始めました。