迷走していた「たんなさん」のつぶやき

※個人の感想です・・・

みなさん、よいお年を

2012年12月27日 | 
ちょっと早いですが、今日から北海道に帰省します。
数年ぶりですが、今年はかなり寒くて雪も多いようです。
ブログの更新は今年最後になります。
ご愛読ありがとうございました。
また来年もよろしくお願いします。

年明けのブログ更新は8日ころを予定しています。
よほど暇なら携帯から投稿するかもしれませんが。
それではみなさん、よいお年を。

被災地の様子は・・・

2012年06月30日 | 
松島から45号線を義弟の実家のある方向に北上してみました。
津波の被害にあった自衛隊基地を通過し、徐々に津波の被害の残っている場所が増えてきます。
海沿いの道を通ってみると、報道で何度も見たことのある景色がありました。
石巻の海沿いの大きな橋を通過している時に、なんともいえない臭いがしました。
津波の後、こんな臭いの中でしばらく生活されていたのだろうと、被災者の皆さんのご苦労が想像できました。
ガレキや壊れた車が山積みになっているのを見て、被災地なんだなーとあらためて実感したのでした。

被災地は通過するだけで写真を撮らないつもりだったのですが、近々壊してしまうという「鯨缶」だけは、車の中からカメラに収めました。
観光客を集めることのできるモニュメントなのになー、と観光客の立場で感じたことを記しておきます。

で、肝心の復興の状況ですが、まだまだこれからなんですね。
女川あたりでは道路が狭くてダンプと普通車のすれ違いがスムーズにできない場所もありました。
どうせなら道を広くして避難しやすいようにすればいいのに、と余所者には感じられました。

松島や

2012年06月29日 | 
今ごろかよ、と言われそうですが、被災地支援の一環として東北旅行に行ってきました。
最近のマイブームである目的地を決めないぶらり旅ってやつなので、気の赴くままに目的地を選びます。
で、行ってみたのが「松島」です。

個人的には仕事の途中に時間を作って一人旅で行ったことのある場所ですが、相方が行ったことがないということなので目的地にしてみました。
松島では意識をしなければ津波の被害を受けたことは感じられません。
ただ、海沿いの一部のお店には「この位置まで津波が到達しました」という張り紙と、当時の様子のわかる写真が貼られていたので、状況を把握することができました。
津波が来たというのは観光客に対してはマイナスイメージになるので、あまり表に出したくないのかもしれませんが、被災地支援でお金を使いに行っている立場としては、当時がどんな感じだったのか純粋に知りたいという気持ちがありました。
だから、画像のように「この位置まで津波が到達しました」という張り紙を出してもらえるとわかりやすくてありがたかったです。
ちなみに瑞巌寺では券売所まで津波は到達せず、その手前数十メートルのところに「この位置まで津波が到達しました」という立札がありました。
なんでも瑞巌寺が津波の避難所になったんだそうです。

津波で松島のいくつかの島が形を変えたりしたと、遊覧船の説明で聞きました。
あの津波のパワーを見ているだけに、この程度の変形で済んだのか、と感じるほど、島の変形被害は少ないように思いました。

震災前の「たろう観光ホテル」(岩手県宮古市)からの景色

2012年03月12日 | 
東日本大震災前の2009年11月、岩手県宮古市田老地区にある「たろう観光ホテル」に宿泊し、浄土ヶ浜から遊覧船に乗ったことがありました。
ホテルには前夜についたため、周りの様子はわからず、翌朝ホテルの部屋から海(市場の方向か?)の向けて撮影したものです。
つまり、震災前の「たろう観光ホテル」からの景色ということになります。
ホテル自体は設備が古くてお風呂もひなびた感じだったのですが、食事がおいしかったことを覚えています。
8時前にホテルを出発するスケジュールだったため、ホテル周辺の散策はせずじまいでした。
あの10mという防潮堤を見ておけばよかったと今になって思います。
画像の海の手前の横長の構造物が防潮堤だと思います。多分。

福島、新潟を旅して

2011年08月22日 | 
週末に福島、新潟に出掛けてみました。
福島では喜多方ラーメンを食べました。
5月頃にお客さんが少ないと人気ラーメン屋のご主人が話しているのをテレビで見ましたが、今は当時ほどではないようで(夏休みだからなのか?)、予想外の行列でした。
高速を使わずに旅してみると、新潟県内はどこも7月の水害の爪あとが残っていました。
阿賀野川では、川底から数十メートル上の道路付近まで枯れ枝が引っ掛かり、ものすごい水量があったことを感じることができました。
川沿いの道路は数箇所が削られ、交互通行になっていました。
また、川に沿って走っている磐越西線は線路を水にさらわれ、未だに不通になっているようです。
阿賀野川だけでなく、信濃川沿いも土石流のあとが見られました。

私たちには東日本大震災の印象が強すぎて、それ以降に起こった災害のことをすっかりと忘れてしまいます。
しかし、現地を車で走ってみると、わからないことがいろいろと見えてくるものですね。

旅の目的地の弥彦神社は静かなたたずまいでした。
またいつか、あらためて訪れることでしょう。