迷走していた「たんなさん」のつぶやき

※個人の感想です・・・

1年経ってもこのザマ

2011年04月28日 | 政治
たまたま1年前の日記を見たら、4月23日に
「鳩山がバカ過ぎてどうしようもない、早く政権交代しなくちゃ」
と書いていた。
1年経っても「鳩山」を「菅」に書き換えるだけの悲しい状態が続いています。

なにかいい話ないかなー。

野党に責任分担を求めるなよ、バ菅直人

2011年04月27日 | 役所・役人
大震災後、いろいろと言いたいこともありましたが、グッと我慢してきました。
でも、今日の国会中継を聞いていて、その我慢も限界に達しました。
野党に対して責任分担を求めるってどういうことなんだ。
全ての責任は自分がとるから、知恵を人材を経験を貸して欲しいってなんで言えないんだ。
責任分担を求めて、手柄だけは自分のものにするって魂胆が見え見えじゃないか。
これでは連立や野党の協力なんて得られるはずがない。
バカ過ぎるし、せこ過ぎるよ。

日本国民としてこの総理は悲しすぎる。

節電効果 444kw→341kw

2011年04月26日 | LIFE
先月の電気使用量がわかりました。
節電効果もあってか341kw(32日間)で、前年同月の444kw(32日間)よりも23.2%、103kwも電気使用量は減っています。
これまで使わなくても挿しっぱなしだったコンセントを抜いたり、こまめに電気を消す、冷蔵庫の設定温度を弱にする、などの節電をした効果だと思います。

マスコミは昨年夏のピーク時の電力使用量6000万kwに足りないと騒いでいますが、この数字は節電意識のなかった時のもので、計画停電を実体験した今の電気の使い方とは違うことを理解していません。
今なら黙っていても前年同月よりも10%は節電していると思いますよ。
だから、夏も冷房の設定温度を弱めにするなどの工夫で、なんとか乗り切れられるように思うのですが、楽天的な考え過ぎますか?

スーちゃん

2011年04月25日 | 音楽
私たちの世代でアイドルというと、天地真理から始まり、山口百恵、キャンディーズ、ピンクレディー、松田聖子(中森明菜と小泉今日子を含めてもよい)までの、おにゃんこ前までを指します。
でも天地真理の人気は小学生まで、山口百恵は中学の時に引退、そしてキャンディーズも中学の時に解散してしまったのです。

キャンディーズとピンクレディーは似ているようですが、ファンにとって世代間の隔たりがとてもありそうに思います。
キャンディーズファンから見るとピンクレディーは正統なアイドルではなく、色気を使ったよろしくない印象を抱いていたのです。
キャンディーズファンはちょっと大人でピンクレディーファンはまだまだ子供みたいな、子供が持つへんな優越感みたいなものもあったりして。

振り返ってみると、当時はいろいろなアイドルがいて、そこそこのヒット曲を持っていましたね。
週に何本かの歌謡番組があって、一定程度の露出があり、バラエティー番組に顔を出して名前を覚えてもらう、そんなシステムになっていたように思います。今から思えば。

キャンディーズでいえば「全員集合」と「みごろ食べごろ」に出ることよって、ファンはより親近感を持ったのかもしれません。
ちょっと前に(今もなのかもしれませんが)、「ヘキサゴン」の番組の出演者の露出が増えたことがありましたが、これなどはアイドル(候補を含む)がバラエティ番組で意外な一面を見せることがファン拡大につながったように思います。
当時はそんなバラエティ番組がいくつもあったように思うのですが、今のバラエティ番組はお笑い芸人ばかりが幅を利かせているためか、アイドルが知名度をアップさせることの出来る場所が限られているみたいですね。

さてさて我らがキャンディーズのことですが、アイドルでありながら身近なお姉さん的な存在でした。
解散に向けて人気が高くなり、人気の頂点で解散したのです。
キャンディーズの人気はAKBの人気を3人で受け止めていた、とどこかに書いてあったりましたが、多分そんな感じなんだと思います。

グループでありながら、仲が悪いという報道がなかったのもよかったです。
急な訃報に我が夫婦は二人とも「あっ」と声をあげました。
お嫁に行っちゃった近所のお姉さんが急に亡くなっちゃった、そんな心境なのです。
スーちゃん、ちょっと早過ぎだよー。

「子供たちのたくましいパパでいて」優しく語りかける妻の手紙

2011年04月24日 | 社会
「子供たちのたくましいパパでいて」優しく語りかける妻の手紙
 震災で妻の奈保子さん(38)を亡くした佐々木健吾さん(44)は、長女の千紘(ちひろ)ちゃん(6)とこんなやりとりを何度か繰り返した。
 「ママは、天使になって天国にいるの?」
 「そう。ここにはいないけど、ちいちゃんのこと、いつも見てるよ」
 最初のころ「透明なママは嫌」と泣いた千紘ちゃん。最近は笑顔も見せるようになったが、どこまで母の死を受け止められたのか。長男の郁哉君(12)は「お母さんの分まで生きる」と気丈に話し、少しだけ泣いた。
 4月。親子3人は自宅があった宮城県南三陸町を離れ、登米市のアパートへ。18日には千紘ちゃんの小学校の入学式があった。咲き始めた桜の下、支援物資の中にあった白のブラウスを着た娘を見つめながら、健吾さんは、式を楽しみにしていた妻の声が聞こえた気がした。「今日も一日頑張って」。あの手紙の中にあった言葉だ。
 南三陸町志津川。海から約1キロ離れた丘の中腹に、特別養護老人ホーム慈恵園は建っていた。

職場で結ばれ職場で
 健吾さんは事務、奈保子さんはデイサービスセンターの介護職員として勤務。職場で出会った2人は1997(平成9)年に結婚した。
 震災当日、健吾さんは、町を破壊しながら押し寄せる波を見た。慈恵園の入所者68人はほとんどが寝たきりだ。
 「とにかくもっと上へ」。裏の高台にある志津川高校までは急坂が50メートルほど続く。十数人の職員と近くにいた高校生が集まり、お年寄りを一人一人抱え上げリレーのようにして運んだ。助けられたのは約20人。無我夢中で、施設が津波にのまれるところは見ていない。
 地震の後、慈恵園の前で毛布を手に、お年寄りの間を歩いていた奈保子さんがいないと気付いたのは日が暮れたころ。3日後、がれきの中から遺体が見つかった。
 職場の机の引き出しには、泥まみれになった健吾さんのかばんが残っていた。内ポケットから、奈保子さんの手紙が出てきた。数年前、夫婦げんかをした後にもらったものだ。かばんにしまい、そのまま忘れていた。
 「突然手紙というのも何かあったと思うかな? 何もないのよ。昔書いていた日記を見つけて読んだら、とっても大切にしてもらってたのね。反省しました」

介護士に合格してた
 仕事が大好きで責任感が強かった奈保子さんは今年、介護福祉士の試験に初めて挑戦した。4月初め、健吾さんがインターネットで確認すると、合格していた。「一緒に喜べたらよかったのに」と泣きながら、笑う。
 今も妻が戻ってこないとは信じられない。道具箱や鍵盤ハーモニカ、おはじき。奈保子さんがそろえた千紘ちゃんの学用品は全て流された。学校のこと、2人の子の世話、新しい仕事探し。「料理だってやったことないのに…」と戸惑う健吾さんに、中学生になった郁哉君は「ごはんは僕が作る」と言ってくれた。
 奈保子さんの手紙は、こう続いていた。今の健吾さんへのエールのように。
 「パパ、大好きよ。郁哉と千紘のたくましいパパでいてね。今日も一日頑張って」
 (SANKEI EX PRESS)2011.4.24 10:33