私が貴方に初めてお手紙を出したのは、16歳の頃でしたね。田舎の写真とつたないポエム。そんな「イタイ」女子高生に丁寧にお返事をくれました。
有頂天になった私は、事あるごとにお手紙を出しましたね。そして時々お返事をくれた貴方。来るか来ないか分からないお返事を、とてもとても待ち望んでいました。
ある時は、私のつたない詩にアドバイスをくれましたね。赤ペンで添削をしてくださったり、
「曲を付ける事を前提に作詞をするのも面白いですよ。」
と勧めてくれました。
10代ならではの幼い悩み事や、不躾な非常識な手紙にも付き合ってくれましたね。
私が大人になってからも、時々お手紙を書きました。お誕生日には、毎年何をプレゼントしようかと、知恵を絞ったものでした。
甘い物は控えていたけれど、「和三盆」はお好きでしたね。贈ったものと貴方の趣味が当たった時は、小躍りするほど嬉しかった。
書く事を勧めてくれたのも、ブログを勧めてくれたのも貴方です。お陰でこんなに長い年月、私は書き続けています。もう、添削はしてくださいませんか?コメントもいただけませんね。
ケアマネジャーの試験が通った時、連絡のツールは手紙からメールになりましたね。時間差のある手紙のもどかしさも好きでしたが、メールはとても身近に感じて、嬉しさと一緒に気恥かしさもありました。
今年、奇しくも貴方に贈ろうとしたプレゼントは「パワーストーン」でした。年齢を重ねても、いつも溌剌とされていたけれど、ご病気や災難に合わないように、祈りを込めました。
でも、間に合いませんでしたね。まさか、届かない日が来るなんて。何度メールを見ても、もうお返事が来ることは無いと分かっても、メールチェックをせずにはいられません。だって、最後にメールを頂いたのは、ついこの前じゃないですか。
貴方との別れを考えないわけではありませんでした。いつかは来ると分かっていました。でも、父や母が死なないとどこかで高をくくるように、貴方もまだまだ逝かないと信じていました。
貴方の訃報の電話を、どこか遠くで聞いていました。受け答えしながら、胸騒ぎが当たった思いと、どこかで実感がない思いがない交ぜで、洗い物をしていたら、とめどなく涙が溢れてきました。
ありがとうございました。ありがとうございました。ありがとうございました。
今はこの言葉しか出てきません。
ご冥福をお祈りします。
ここをクリックしてお立ち寄りください
有頂天になった私は、事あるごとにお手紙を出しましたね。そして時々お返事をくれた貴方。来るか来ないか分からないお返事を、とてもとても待ち望んでいました。
ある時は、私のつたない詩にアドバイスをくれましたね。赤ペンで添削をしてくださったり、
「曲を付ける事を前提に作詞をするのも面白いですよ。」
と勧めてくれました。
10代ならではの幼い悩み事や、不躾な非常識な手紙にも付き合ってくれましたね。
私が大人になってからも、時々お手紙を書きました。お誕生日には、毎年何をプレゼントしようかと、知恵を絞ったものでした。
甘い物は控えていたけれど、「和三盆」はお好きでしたね。贈ったものと貴方の趣味が当たった時は、小躍りするほど嬉しかった。
書く事を勧めてくれたのも、ブログを勧めてくれたのも貴方です。お陰でこんなに長い年月、私は書き続けています。もう、添削はしてくださいませんか?コメントもいただけませんね。
ケアマネジャーの試験が通った時、連絡のツールは手紙からメールになりましたね。時間差のある手紙のもどかしさも好きでしたが、メールはとても身近に感じて、嬉しさと一緒に気恥かしさもありました。
今年、奇しくも貴方に贈ろうとしたプレゼントは「パワーストーン」でした。年齢を重ねても、いつも溌剌とされていたけれど、ご病気や災難に合わないように、祈りを込めました。
でも、間に合いませんでしたね。まさか、届かない日が来るなんて。何度メールを見ても、もうお返事が来ることは無いと分かっても、メールチェックをせずにはいられません。だって、最後にメールを頂いたのは、ついこの前じゃないですか。
貴方との別れを考えないわけではありませんでした。いつかは来ると分かっていました。でも、父や母が死なないとどこかで高をくくるように、貴方もまだまだ逝かないと信じていました。
貴方の訃報の電話を、どこか遠くで聞いていました。受け答えしながら、胸騒ぎが当たった思いと、どこかで実感がない思いがない交ぜで、洗い物をしていたら、とめどなく涙が溢れてきました。
ありがとうございました。ありがとうございました。ありがとうございました。
今はこの言葉しか出てきません。
ご冥福をお祈りします。
