父の葬儀の時、キヨちゃんの喪服のサイズが合わなかったりといったトラブルがあったことは書いた。経験してみると、伊丹監督が「お葬式」という映画を撮ろうと思った気持ちが何となく分かる。
宗派にもよるもかも知れないが、私の方では亡くなると枕元に「枕飯」というものを供える。本人の使っていたお茶碗で米を計り、それだけ別に炊くのだ。旅立ちのための「お弁当」である。
中央にお茶碗に山盛りのごはん。盆の四隅にまるまる団子状にしたおにぎり。旅立つときは袋に入れて持たせて上げるのだ。そして、使ったお茶碗はお別れに割ってしまうのだ。
葬儀が終わってしばらくは、親類がいてくれたり出入りがあったりで気が付かなかったのだが、ふと日常生活に戻って私の茶碗が見あたらないことに気づいた。
「なあ、私の茶碗知らん?」
私はキヨちゃんに聞いてみた。
「ん?茶碗?」
「うん。見あたらんのよ。」
「ああ、茶碗なあ。父ちゃんのお別れに父ちゃんの茶碗が見つからなくて、割った。」
・・・・。え?私のちゃわんを?
しかし、父の茶碗は枕飯に確かに使っていたのだ。しかも、洗って戻った形跡もない。つまり父の茶碗もないのだ。ということは、父のお弁当はおにぎりにせず、茶碗ごと持たせたか?
それにしたって、ひどい話だ。茶碗なら客用だろうが、予備だろうがあるのだ。何も「生きてる」私の茶碗を割ることはないだろう。しかも、陶器市で買ったかなりお気に入りの茶碗だったのだ。
「誰が・・・私の茶碗を?」
「さあ?誰だろう?」
本気で首をかしげるキヨちゃんであるが、どうも私にはキヨちゃんの犯人説が有力である。うっかり、やりかねない。
昨日私は茶碗を新調した。ただし138円の安物にしてみた・・・。痛い・・・。
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宗派にもよるもかも知れないが、私の方では亡くなると枕元に「枕飯」というものを供える。本人の使っていたお茶碗で米を計り、それだけ別に炊くのだ。旅立ちのための「お弁当」である。
中央にお茶碗に山盛りのごはん。盆の四隅にまるまる団子状にしたおにぎり。旅立つときは袋に入れて持たせて上げるのだ。そして、使ったお茶碗はお別れに割ってしまうのだ。
葬儀が終わってしばらくは、親類がいてくれたり出入りがあったりで気が付かなかったのだが、ふと日常生活に戻って私の茶碗が見あたらないことに気づいた。
「なあ、私の茶碗知らん?」
私はキヨちゃんに聞いてみた。
「ん?茶碗?」
「うん。見あたらんのよ。」
「ああ、茶碗なあ。父ちゃんのお別れに父ちゃんの茶碗が見つからなくて、割った。」
・・・・。え?私のちゃわんを?
しかし、父の茶碗は枕飯に確かに使っていたのだ。しかも、洗って戻った形跡もない。つまり父の茶碗もないのだ。ということは、父のお弁当はおにぎりにせず、茶碗ごと持たせたか?
それにしたって、ひどい話だ。茶碗なら客用だろうが、予備だろうがあるのだ。何も「生きてる」私の茶碗を割ることはないだろう。しかも、陶器市で買ったかなりお気に入りの茶碗だったのだ。
「誰が・・・私の茶碗を?」
「さあ?誰だろう?」
本気で首をかしげるキヨちゃんであるが、どうも私にはキヨちゃんの犯人説が有力である。うっかり、やりかねない。
昨日私は茶碗を新調した。ただし138円の安物にしてみた・・・。痛い・・・。
