みちのくの山野草

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「下敷」のかなり危うい信憑性

2019-05-30 10:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
〈「白花露草」(平成28年8月24日撮影、下根子桜)

「下敷」のかなり危うい信憑性
鈴木 なお、現時点ではそんなに多くはないかもしれないが、いわゆる「下敷」の記述内容の信憑性に不安を抱いているのは私たちだけではない。例えば、
佐藤誠輔氏は「宮沢賢治と遠野 二」という論考(『遠野物語研究第7号』(遠野物語研究所、平成16年)所収)においてやはり同様な疑問を投げかけている。
tsumekusa氏が管理するブログ〝「猫の事務所」調査書〟も、平成17年からその問題点を指摘して考察している。
荒木 他にはいないのか?
鈴木 そうそう、最近知ったのが佐藤通雅氏であり、同氏は、
 一個人による回顧談は、そのまま事実としてうけとめるわけにはいない。回顧する者の主観が作用することはよくあるし、人物の知名度にしたがって粉飾をほどこしてしまうこともある。
と警鐘を鳴らし、具体的には、森が賢治の許を訪れた際に露とすれ違ったという例の件に関して次のように論じている。
 一九二八年秋、森は下根子をたずねる。途中で二十二、三歳の和服の女性とすれちがう。
 目がきらきらと輝いていた。そして丸顔の両頰がかっかっと燃えるように赤かった。全部の顔いろが小麦いろゆえ、燃える頰はりんごのように健康な色だった。かなりの精神の昂奮でないと、ひとはこんなにからだ全体で上気するものではなかった。…(投稿者略)…
 このような描写にせっすると、森のやろうとしているのは、単なる回顧譚でも評伝でもなかったと知る。…(投稿者略)…明らかに森自身の自在な解釈また想像力がはたらいている。…(投稿者略)…そのまま事実におろしてくるのは危険でもある。
             <共に『宮澤賢治 東北砕石工場技師論』(佐藤通雅著、洋々社、平成12年)80p~より>
 そこで私は、佐藤通雅氏のこの警鐘と指摘を知ってその通りだと頷き、また、このまま進んで行っていいのだと安堵したのだった。
吉田 同氏は、もっと具体的なことは論じていないのか。
鈴木 論じているよ。続けて次のように鋭い指摘をしている。
  ……彼女はカレーライスをはこんできた。ところが賢治は「私には、かまわないで下さい。私には食べる資格はありません。」ときつくいう。
 悲哀と失望と傷心とが、彼女の口をゆがませ頰をひきつらし、目にまたたきも与えなかった。彼女は次第にふるえ出し、真赤な顔が蒼白になると、ふいと飛び降りるように階下に降りていった。
 彼女は階下におりると、オルガンをひきだした。「みんなひるまは働いているのですから、オルガンは遠慮して下さい。やめて下さい。」ととめても、ひきやまなかった。
(涙があとからあとから湧くように流れ、手を足を動かさないでいると、わくわくふるえるのが、どうしてもとまらない。死人のように真蒼な顔をしている彼女の耳には、自分のひくオルガンの音が、まるで遠く微かな、夜の果てから聞こえてくるもののようにしかきこえなかった。)
 このカレー事件の描写は、あたかもその場にいあわせ、二階のみならず階下へまで目をくばっているような臨場感がある。しかしいうまでもなく、両方に臨場することは不可能だ。…(筆者略)…見聞や想像を駆使してつくりあげた創作であることは、すぐにもわかる。
           <『宮澤賢治 東北砕石工場技師論』82p~より>
荒木 おっ、結構はっきりと言うではないか。
吉田 そうそう、佐藤通雅氏の主張するとおりで、森の「昭和六年七月七日の日記」の露に関する記述内容を「そのまま事実におろしてくるのは危険」であり、その中には確かにその信憑性がかなり薄いものもあると改めて言わざるを得ない。
鈴木 そして、先に、「昭和六年七月七日の日記」中の「彼女の思慕と恋情とは焰のように燃えつのつて、…一日に二回も三回も遠いところをやつてきたりするようになつた」や「もはや家もかりてあり、世帶道具もととのえて云々」は共にその信憑性がかなり危ういものだということを私たちは実証できたわけだが、もちろん上田も同様の不安を抱いており、例えば「彼女の思慕と恋情とは焰のように燃えつのつて」については、
 これは彼女の心の奥底の状態であって森は知ることが出来ないものである。森は、高瀬露からその心情を聞いたのだろうか。
            <『七尾論叢 第11号』(七尾短期大学)77pより>
と訝っている。
吉田 もはやこうなってしまうと、これらの記述内容は単なる風聞かあるいは虚構であった蓋然性が極めて高いということであり、延いては、いわゆる「下敷」全体もそれが否定出来ないということになりそうだ。
荒木 畢竟、この「下敷」の信憑性はかなり危ういことがこれで明らかになったから、賢治に関する論考等に於いては典拠としては安易には使えないということだべ。

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               電話 0198-24-9813

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