《ひきざくら》(「下根子桜」、平成29年4月18日撮影)
それでは、先に〝何者かによる澤里武治の「証言」の改竄〟において、
その詳細については近々まとめ直して投稿予定
と述べていたので、そのまとめ直しを以下にしてみた。
『賢治昭和二年上京説』の目次
〝「賢治の10回目の上京の可能性」シリーズ〟で論じた中身が『賢治昭和二年上京説』である。
・10回目の上京の別な可能性(#1)
☆2 「三日でセロを覺えようとした人」より
☆3 座談会「先生を語る」より
・10回目の上京の別な可能性(#8)
☆4 柳原昌悦の証言
☆5 『宮澤賢治日記(昭和2年版)』より
☆6 盛岡気象台の記録より
☆7 レコード交換会に関連して
☆8 下根子桜時代の童話の創作
・10回目の上京の別な可能性(#9)
〈仮説♠〉の検証
1.大正15年12月2日
・10回目の上京の別な可能性(#11)
2. 3つ目の証言
3.予定外の行動?
・10回目の上京の別な可能性(#12)
4.澤里武治自身のこと
・10回目の上京の別な可能性(#13)
5.「少なくとも三か月は滞在する」
・10回目の上京の別な可能性(#14)
6.大正15年12月2日頃の賢治の心境
・10回目の上京の別な可能性(#15)
7.昭和3年1月頃賢治は病気に
(ア) 賢治昭和2年11月上京と病気
(イ) 昭和3年1月頃の賢治の病歴
(ウ) 「何がそこにあったのだろうか?」
・10回目の上京の別な可能性(#16)
8.反例?『「文語詩篇」ノート』36p
・10回目の上京の別な可能性(#17)
9. 澤里の証言と柳原の証言
・10回目の上京の別な可能性(#18)
(イ) 柳原のもどかしさ
・10回目の上京の別な可能性(#19)
(1) 「新校本年譜」の大正15年12月2日
(2) 素朴な疑問
(3) お願いと当面の態度
・10回目の上京の別な可能性(#20)
10.「宮澤賢治の東京における足跡」より
・10回目の上京の別な可能性(#21)
11. 昭和2年の上京
昭和2年の上京記載例
清六は認識していた?
大津夫人の証言
現時点での「仮説♠」の評価
・10回目の上京の別な可能性(#22)
12.賢治のオルガンとセロの腕前
・10回目の上京の別な可能性(#23)
13.賢治のセロとその価格
・10回目の上京の別な可能性(#24)
14.大正15年12月の滞京を見直す
(1) 大正15年12月2日の上京
(2) オルガン実演の評価
(3) これからはセロだ!
・10回目の上京の別な可能性(#25)
(4) 大正15年12月の「200円の無心」
・10回目の上京の別な可能性(#26)
15.「沢里武治聞書」をどう生かすか
(1) 滞京期間
(2) 「少なくとも三か月は滞在する」
(3) 自家撞着
・10回目の上京の別な可能性(#27)
16.〝セロ一週一頁〟と「セロ学習ノート」
・10回目の上京の別な可能性(#28)
17.セロの独習
・10回目の上京の別な可能性(#29)
18. 2月1日~8月8日の宮澤賢治
・10回目の上京の別な可能性(#30)
19. 8月20日頃の宮澤賢治
・10回目の上京の別な可能性(#31)
20. 昭和2年9月の「上京」
・10回目の上京の別な可能性(#32)
20. 昭和2年9月の「上京」の続きである。
・10回目の上京の別な可能性(#33)
21.昭和2年11月頃の「上京」
(1)高瀬露とのことなど
(2) さらなる悩み
(3) 上京の決意
(4) 「三か月の間」の滞京の当てはめ方
・10回目の上京の別な可能性(#34)
下根子桜時代の詩の創作数の推移
創作皆無の月などについて
・10回目の上京の別な可能性(#35)
21.昭和2年11月頃の「上京」の続きである。
・10回目の上京の別な可能性(#36)
22.残されている課題
・10回目の上京の別な可能性(#37)
23. セロの特訓
・10回目の上京の別な可能性(#38)
24.とうとう病気になった賢治
・10回目の上京の別な可能性(#39)
24.とうとう病気になった賢治の続きである。
・10回目の上京の別な可能性(#40)
24.とうとう病気になった賢治の続きである。
25.最後に
柳原昌悦も同様の記憶を持っており、昭和二年にもう一度セロを習いに上京したことがあったかもと考えられるが
・10回目の上京の別な可能性(#2) 一般には澤里一人ということになっているが、あのときは俺も澤里と一緒に賢治を見送ったのです。何にも書かれていていないことだけども
・10回目の上京の別な可能性(#3) 「羅須地人協会時代」の昭和2年8月~昭和3年3月における、昭和2年11月4日~昭和3年2月8日の3ヶ月余の空白
・10回目の上京の別な可能性(#4) 賢治の活発な動向が見える「羅須地人協会時代」の大正15年8月~昭和2年3月
・10回目の上京の別な可能性(#5) 賢治は昭和2年の11月から昭和3年の1月までの約3ヶ月間上京・滞京していたのではなかろうか。
・10回目の上京の別な可能性(#6) その根拠は何かと問われれば、昭和2年11月~昭和3年1月の間の年譜の記載事項の少なさ、書簡の少なさ、詠まれた詩の少なさもあるが、さらにはある複数の証言などである。
☆1 「沢里武治氏聞書」より
・10回目の上京の別な可能性(#7)☆1 「沢里武治氏聞書」より
☆2 「三日でセロを覺えようとした人」より
☆3 座談会「先生を語る」より
・10回目の上京の別な可能性(#8)
☆4 柳原昌悦の証言
☆5 『宮澤賢治日記(昭和2年版)』より
☆6 盛岡気象台の記録より
☆7 レコード交換会に関連して
☆8 下根子桜時代の童話の創作
・10回目の上京の別な可能性(#9)
仮説の修正
〈仮説♠〉宮澤賢治は昭和2年の11月から昭和3年の1月までの約3ヶ月間滞京、病気になって帰花した。
・10回目の上京の別な可能性(#10)〈仮説♠〉宮澤賢治は昭和2年の11月から昭和3年の1月までの約3ヶ月間滞京、病気になって帰花した。
〈仮説♠〉の検証
1.大正15年12月2日
・10回目の上京の別な可能性(#11)
2. 3つ目の証言
3.予定外の行動?
・10回目の上京の別な可能性(#12)
4.澤里武治自身のこと
・10回目の上京の別な可能性(#13)
5.「少なくとも三か月は滞在する」
・10回目の上京の別な可能性(#14)
6.大正15年12月2日頃の賢治の心境
・10回目の上京の別な可能性(#15)
7.昭和3年1月頃賢治は病気に
(ア) 賢治昭和2年11月上京と病気
(イ) 昭和3年1月頃の賢治の病歴
(ウ) 「何がそこにあったのだろうか?」
・10回目の上京の別な可能性(#16)
8.反例?『「文語詩篇」ノート』36p
・10回目の上京の別な可能性(#17)
9. 澤里の証言と柳原の証言
・10回目の上京の別な可能性(#18)
(イ) 柳原のもどかしさ
・10回目の上京の別な可能性(#19)
(1) 「新校本年譜」の大正15年12月2日
(2) 素朴な疑問
(3) お願いと当面の態度
・10回目の上京の別な可能性(#20)
10.「宮澤賢治の東京における足跡」より
・10回目の上京の別な可能性(#21)
11. 昭和2年の上京
昭和2年の上京記載例
清六は認識していた?
大津夫人の証言
現時点での「仮説♠」の評価
・10回目の上京の別な可能性(#22)
12.賢治のオルガンとセロの腕前
・10回目の上京の別な可能性(#23)
13.賢治のセロとその価格
・10回目の上京の別な可能性(#24)
14.大正15年12月の滞京を見直す
(1) 大正15年12月2日の上京
(2) オルガン実演の評価
(3) これからはセロだ!
・10回目の上京の別な可能性(#25)
(4) 大正15年12月の「200円の無心」
・10回目の上京の別な可能性(#26)
15.「沢里武治聞書」をどう生かすか
(1) 滞京期間
(2) 「少なくとも三か月は滞在する」
(3) 自家撞着
・10回目の上京の別な可能性(#27)
16.〝セロ一週一頁〟と「セロ学習ノート」
・10回目の上京の別な可能性(#28)
17.セロの独習
・10回目の上京の別な可能性(#29)
18. 2月1日~8月8日の宮澤賢治
・10回目の上京の別な可能性(#30)
19. 8月20日頃の宮澤賢治
・10回目の上京の別な可能性(#31)
20. 昭和2年9月の「上京」
・10回目の上京の別な可能性(#32)
20. 昭和2年9月の「上京」の続きである。
・10回目の上京の別な可能性(#33)
21.昭和2年11月頃の「上京」
(1)高瀬露とのことなど
(2) さらなる悩み
(3) 上京の決意
(4) 「三か月の間」の滞京の当てはめ方
・10回目の上京の別な可能性(#34)
下根子桜時代の詩の創作数の推移
創作皆無の月などについて
・10回目の上京の別な可能性(#35)
21.昭和2年11月頃の「上京」の続きである。
・10回目の上京の別な可能性(#36)
22.残されている課題
・10回目の上京の別な可能性(#37)
23. セロの特訓
・10回目の上京の別な可能性(#38)
24.とうとう病気になった賢治
・10回目の上京の別な可能性(#39)
24.とうとう病気になった賢治の続きである。
・10回目の上京の別な可能性(#40)
24.とうとう病気になった賢治の続きである。
25.最後に
そして、この私の主張『賢治の昭和二年上京説』に対しては、賢治研究の第一人者のお一人から強力な支持を頂いていると、かつこの件に関する出版を慫慂されたと認識して自費出版したのが、『羅須地人協会の真実-賢治昭和二年の上京-』である。
なおかつ、この拙著に関連してある賢治研究家等からの圧力やクレームがあったのだがそれは次回で。
続きへ。
前へ 。
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岩手県上閉伊郡大槌町小鎚第32地割金崎126
大槌町教育委員会事務局
教育長 様
なお、大槌町教育委員会事務局の電話番号は
0193-42―6100
です。
岩手県上閉伊郡大槌町小鎚第32地割金崎126
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