10回目の上京の別な可能性を探るために、先ず「羅須地人協会時代」の昭和2年8月~昭和3年3月を図表化してみた。
こうやって〝11月4日~2月8日の空白の3ヶ月余〟を概観してみると、そこからはこの期間に賢治の活発な活動があったとはとても読み取れない、と私は感ずる。
はたしてこの見方が妥当か否かを確かめてみたいので、次回は前年の同時期の賢治の動向を調べてみたい。
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<『新校本 宮澤賢治全集第十六巻(下)』(筑摩書房)および『年譜宮澤賢治伝』(堀尾青史著、中公文庫)より>
こうやって〝11月4日~2月8日の空白の3ヶ月余〟を概観してみると、そこからはこの期間に賢治の活発な活動があったとはとても読み取れない、と私は感ずる。
はたしてこの見方が妥当か否かを確かめてみたいので、次回は前年の同時期の賢治の動向を調べてみたい。
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