みちのくの山野草

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2471 10回目の上京の別な可能性(#2)

2011-12-23 08:00:00 | 賢治昭和二年の上京
 〝 10回目の上京の別な可能性(#1)〟の最後に
  そして私は『もしかすると…まさか?』と思ってしまった。
としたためた。
 ではそれは何を思ってしまったのか。全く荒唐無稽なことだと嗤われることは十分承知の上だが、
   宮澤賢治は昭和2年の11月頃から昭和3年の1月頃までの約3ヶ月間上京・滞京していた。………♣ 
ということを思ってしまったのだった。

 ではその根拠は何か、と問われればそれは前回も触れた昭和2年の12月前後の年譜の記載事項の少なさ、書簡の少なさ、詠まれた詩の少なさもあるが、さらにはある複数の証言などによる直感であった。そしてその証言のスジはそれほど悪くはないとも思っているが、現時点ではまだそれらを十分には整理し切れていないのでしばし時間を置き今後整理してみたい。
 もしそれが上手く整理できたならば、年明けには本ブログに投稿し、来年からは上記 ♣ を私の新たな仮説としてその検証にチャレンジしてみたいと思っているのだが、さてはたして上手く行きますか。

 なお、〝 10回目の上京の別な可能性(#1)〟において
  今度C氏に会った際に確認してみたい。
と述べたが、一昨日(12/21)C氏にお会いできたので再度確認したところ、
 C氏は以前柳原昌悦と同じ職場にいたことがあり、その頃に柳原がC氏に
『一般には澤里一人ということになっているが、あのときは俺も澤里と一緒に賢治を見送ったのです。何にも書かれていていないことだけども』
と語ってくれた。
ということであった。つまり以前〝大正15年12月2日の賢治の新事実〟で投稿したとおりであった。このことも、私に仮説 ♣ を立てさせることになった一つの切っ掛けであった。

 続きの
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