そしてこの教科書の
【122p】
には、
そして、一九三三年(昭和八年)九月二十一日が来る。
前の晩、急性肺炎を起こした賢治は、呼吸ができないほど苦しんでいた。なのに、夜七時ごろ、来客があった。見知らぬ人だったけれど、「肥料のことで教えてもらいたいことがある。」 と言う。すると賢治は、着物を着がえて出ていき、一時間以上も、ていねいに教えてあげた。…………⚫
前の晩、急性肺炎を起こした賢治は、呼吸ができないほど苦しんでいた。なのに、夜七時ごろ、来客があった。見知らぬ人だったけれど、「肥料のことで教えてもらいたいことがある。」 と言う。すると賢治は、着物を着がえて出ていき、一時間以上も、ていねいに教えてあげた。…………⚫
ということも述べられていた。
そこで私は訝しく思ってしまう<*1>。これははたして事実だったのか、と。常識的に考えれば<*2>、このようなことはあり得ないはずだからだ。「見知らぬ人」に対して、「呼吸ができないほど苦しんでいた」賢治が「着物を着がえて出ていき、一時間以上も、ていねいに教えてあげ」ることなどあるはずがなかろう<*3>と。
そこで私は光村図書に対して次のような異議申し立てをしたい。
もし、〝⚫〟が事実であったということが確と検証できていないのであれば、このような「エピソード⚫」を判断力がまだ不十分な小学6年生の教科書に載せるのは慎重になってほしい。それは、「賢治の神格化」に与することとなり、子供たちに嘘の賢治を教えることになりかねないからです。
言い換えれば、〝⚫〟が事実であったということが確と検証できているのであれば、その典拠を明らかにしていただきたい<*4>。
つまるところ、純真な子供たち対してこれでいいのですか。
言い換えれば、〝⚫〟が事実であったということが確と検証できているのであれば、その典拠を明らかにしていただきたい<*4>。
つまるところ、純真な子供たち対してこれでいいのですか。
とである。
<*1:投稿者註> それは私のみならず、例えば実証的賢治研究家として著名な故菊池忠二氏も、『私の賢治散歩 下巻』(菊池忠二著、2006年)330p~においてかなりの疑問を呈している。
<*2:投稿者註>「通説」や「旧校本年譜」(『校本宮澤賢治全集第十四巻』所収「賢治年譜」)等において、常識的に考えればこれはおかしいと思われるところを検証したみたならばやはりほとんどおかしかったということを私は痛感してきたきた(『本統の賢治と本当の露』の第一章も是非ご覧頂きたい)。
<*3:投稿者註>『都道府県農業基礎統計』(加用信文監修、農林統計協会)によれば、当時の「岩手県水稲反収推移」は下掲のように、
となっており、昭和8年は大豊作の年であることが分かる。よって、農民はその稔りに満足し、収穫を楽しみにしていたはずだ。だから常識的に考えれば、その稲刈りをまだ終えないこの時期に、来年のことになるであろう「肥料のことで教えてもらいたいことがある」と言って訪ねてくる農民などいるはずがない。
<*4> ちなみに、『新校本年譜』の昭和8年9月20日の項には、その典拠は明示していないが、
前夜の冷気がきつかったのか、呼吸が苦しくなり、容態は急変した。…(略)…医師の来診があり、急性肺炎とのことである。政次郎も最悪の場合を考えざるを得なくなり、死に臨む心の決定を求める意味で、親鸞や日蓮の往生観を語りあう。
そのあと賢治は、短歌二首を半紙に墨守する。
夜七時ころ、農家の人が肥料のことで相談にきた。どこの人か家の者にはわからなかったが、とにかく来客の旨を通じると、「そういう用ならぜひあわなくては」といい、衣服を改めて二階からおりていった。玄関の板の間に正座し、その人のまわりくどい話をていねいに聞いていた。
とあるから、筑摩書房にも、その典拠を明らかにしてほしい。そのあと賢治は、短歌二首を半紙に墨守する。
夜七時ころ、農家の人が肥料のことで相談にきた。どこの人か家の者にはわからなかったが、とにかく来客の旨を通じると、「そういう用ならぜひあわなくては」といい、衣服を改めて二階からおりていった。玄関の板の間に正座し、その人のまわりくどい話をていねいに聞いていた。
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************この度「非専門家の調査研究・報告書」だからという理由で「宮城県図書館」から寄贈を拒否された『本統の賢治と本当の露』です***********
賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』本書は、「仮説検証型研究」という手法によって、「羅須地人協会時代」を中心にして、この約10年間をかけて研究し続けてきたことをまとめたものである。そして本書出版の主な狙いは次の二つである。
1 創られた賢治ではなくて本統(本当)の賢治を、もうそろそろ私たちの手に取り戻すこと。
例えば、賢治は「ヒデリノトキニ涙ヲ流サナカッタ」し「寒サノ夏ニオロオロ歩ケナカッタ」ことを実証できた。だからこそ、賢治はそのようなことを悔い、「サウイフモノニワタシハナリタイ」と手帳に書いたのだと言える。
2 高瀬露に着せられた濡れ衣を少しでも晴らすこと。 賢治がいろいろと助けてもらった女性・高瀬露が、客観的な根拠もなしに〈悪女〉の濡れ衣を着せられているということを実証できた。そこで、その理不尽な実態を読者に知ってもらうこと(賢治もまたそれをひたすら願っているはずだ)によって露の濡れ衣を晴らし、尊厳を回復したい。
〈はじめに〉
………………………(省略)………………………………
〈おわりに〉
〈資料一〉 「羅須地人協会時代」の花巻の天候(稲作期間) 143
〈資料二〉 賢治に関連して新たにわかったこと 146
〈資料三〉 あまり世に知られていない証言等 152
《註》 159
《参考図書等》 168
《さくいん》 175
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