みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

「一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証して」いるからでは

2024-04-25 18:00:00 | 「賢治研究」の更なる発展のために
〈2024年4月24日付『朝日新聞』の17面「岩手」〉

 取り出した『宮沢賢治・第六号』(昭和61年12月1日、洋々社)には、インタビュー

    「わが賢治/第五回」 
   山折哲雄氏に聞く 宮沢賢治への問いと現在 インタビュー 牧野立雄

が載っているからだ。つまり、牧野立雄氏の山折哲雄氏に対するインタビューが載っている。
 実はかつてある方が私に、この『宮沢賢治』(洋々社)の牧野氏のインタビューのシリーズについては、インタビューする側が凄いと言った。そのことは私もこのシリーズのいくつかを読んでそう感じていたから、やはりそうなんだと心の中で呟いたことがある。

 そしてこの度の新聞記事を読んで、「私も」そう感じた理由が分かり掛けてきた。それは、牧野氏は「走り続ける研究者」であり、賢治が青春時代を過ごした盛岡市を、今日もタクシーで走りながら研究を続けているからではなかろうかと。
 言い方を換えれば、石井洋二郎氏の鳴らすあの警鐘
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること、この健全な批判精神こそが、文系・理系を問わず、「教養学部」という同じ一つの名前の学部を卒業する皆さんに共通して求められる「教養」というものの本質なのだと、私は思います。〈「東大大学院総合文化研究科・教養学部」HP総合情報平成26年度教養学部学位記伝達式式辞〉
を牧野氏は徹底しているからに違いないと。
 それは、今回の新聞記事の中に、
   賢治の研究がしたくて28歳の春に盛岡に来ました。
とか、
   学習塾や障害者団体の事務局長の仕事をしながら在野の研究を続け、59歳からはタクシー運転手です。
とあったからだ。もう少し説明を付け加えると、牧野氏はまさにこの、「あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証して」いるからではなかろうかと、私には思えたからだ。たしか、牧野氏の出身は名古屋名のはずなのに、それが今は遠く離れた盛岡で仕事をしながら、「一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証」しながら賢治研究を続けているからに違いないと。
 それにしてもなぜなのだろうか、賢治研究の世界ではまるで「コピー&ペースト」をしているかのような論考を公にしている研究者が少なからず見られるが、牧野氏はその対極にいる方なのだと。

 続きへ
前へ 
 ”みちのくの山野草”のトップに戻る。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 川尻(4/18、エンゴサク) | トップ | 川尻(4/18、共演) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

「賢治研究」の更なる発展のために」カテゴリの最新記事