〈『ナーサルパナマの謎』(入沢康夫著、書肆山田)の表紙〉
鈴木 さて、私たちはここまで、・反例がある現定説「大正15年12月2日の上京」
・現定説「大正15年12月2日の上京」の反例とは
・「ヒデリノトキニ涙ヲ流シタ賢治」という通説の嘘
・通説「昭和二年は非常な寒い氣候…ひどい凶作」の嘘
・「寒サノ夏ハオロオロアルイタ賢治」という通説の嘘
・「風雨の中を徹宵東奔西走、遂に風邪、病臥」?
・通説「貧しい農民のために献身した賢治」の嘘
・これまでほとんど無視されていた千葉恭
・「独居自炊」という通説はあやかし
・通説「聖女のさまして近づけるものは露」も嘘
・「聖女のさまして近づけるものは」露以外
等について長々と話し合ってきた。それは、少なくとも私の場合には、入沢康夫氏の論考「仮説と実証」に啓発されたことが最大の理由だった。・現定説「大正15年12月2日の上京」の反例とは
・「ヒデリノトキニ涙ヲ流シタ賢治」という通説の嘘
・通説「昭和二年は非常な寒い氣候…ひどい凶作」の嘘
・「寒サノ夏ハオロオロアルイタ賢治」という通説の嘘
・「風雨の中を徹宵東奔西走、遂に風邪、病臥」?
・通説「貧しい農民のために献身した賢治」の嘘
・これまでほとんど無視されていた千葉恭
・「独居自炊」という通説はあやかし
・通説「聖女のさまして近づけるものは露」も嘘
・「聖女のさまして近づけるものは」露以外
とはいえ、これほどまでに「通説」を、はては「定説」までをも覆すことばかり並んでしまうと、正直言って心苦しい。
荒木 しかも、これらはいずれも賢治の根源に関わることばかりだから、折角築き上げたものに泥を塗られてしまったということで、当然不愉快に感じている人も少なくなかろうしな。
鈴木 それも分からぬわけでもないが、入沢氏が、
ただ、しかし、ここで力を入れて言いたいのは、結局のところ、もっとも必要なものは、何が真実で、何が真実でないかをあきらかに見極めたいという、誠実な探究心である。そしてその見極めたものを、ほかの人々と、隔てなくわかち合いたいという熱望である。〈『ナーサルパナマの謎 宮沢賢治研究余話』(入沢康夫著、書肆山田)179p〉
と言って、「何が真実で、何が真実でないかをあきらかに見極めたいという、誠実な探究心」がもっとも必要だと強調しているように、このことが私にとっても何ものにも代え難いものなんだな。そうそう、このことを以前話した際に、まさに荒木が、『いいね。「誠実な探究心」か、いつまでも失いたくないものだ』と感嘆したようにさ。吉田 それでいいと思うよ。だって、入沢氏は、「もっとも必要なものは、……その見極めたものを、ほかの人々と、隔てなくわかち合いたいという熱望である」と強調しているわけだから、このような結果になったとしても、僕等は何も悪びれることはないと。それは、その「熱望」が僕等には溢れるほどあるが故の結果なのだと、そう思っている。
それよりは、入沢氏が、
大胆な新説を立てることには私も大賛成だが、同時に自分の説に四方八方から不都合な材料を大胆に浴びせかけて検証し、確実なものにしていくという作業がともなわなければ、仮説は思いつきの段階にとどまってしまう。〈〃179p〉
と戒めているような実態が相も変わらずあるということが悲しいね。荒木 どういうこっちゃ?
吉田 「思いつきの段階にとどまって」いる「仮説」さえも、あるいはそれを越えたとんでもないものまでもが、あたかも「事実」であるかのごとくに歩き廻っている実態がだよ。
鈴木 何だなんだ、その「それを越えたとんでもないもの」とは?
吉田 それは、現段階でははっきりとは僕の口からは言えない。言えないからこそ、今回僕等が話し合っているテーマのサブタイトルが「「賢治研究」の更なる発展のために」となっていることに、僕は始めから意を強くしていたのだ。
荒木 でもな、「馬の骨三人組」としては、ちょっと上から目線のサブタイトルだったな。
鈴木 たしかに図々しかったかもな。とはいえ、現状が一部低迷状態にあるということははっきりしている。今更ぶり返したくはないが、〝「なり振り構わず」送付したのさ、と言う人もいる文書〟で述べたような実態があるということは、まさにその象徴だと言えなくもないのだから。
吉田 そうだよ、「その見極めたものを、ほかの人々と、隔てなくわかち合いたいという熱望」から鈴木が世に問うた著書を、まるで葬り去ろうとしているかのような、タイミングと方法だったのだから。
鈴木 でも立場を変えてみれば、私がそうされるということもまた解らないわけではない。なにしろ、賢治研究家でもない田舎の老いぼれた数学教師のなれの果てが、「仮説検証型研究」なるものを振りかざして、あれこれと反旗を振りかざしたのだから。
とはいえ、自然科学者の端くれの私にも五分の魂はある。とりわけ、反例があることを明らかにした「定説」や「通説」がこのまま棄却されることもなく、大手を振って今後も歩き廻り続けるることを、私は見て見ぬ振りは出来ない。
吉田 そうだよ、賢治は心平に書簡で、
私は詩人としては自信がありませんが、一個のサイエンティストとしては認めていただきたいと思います。
と伝えていた<*1>ということだから、「一個のサイエンティストとして」鈴木がそれらを等閑視できないということは当然だわな。荒木 それが「自然科学者の端くれ」の矜恃だと、しかも、それが人権問題に関わる場合にはなおさらにだ、とも言いたいんだべ。
鈴木 そっか、そこまでも解ってくれるか。
<*1> 例えば、『詩人 草野心平の世界』の中に、
「多分は七月、私ははじめて宮澤賢治に手紙を書いた。…(略)…賢治に書いた手紙の内容はもう忘れてしまったが、骨子は銅鑼同人勧誘の要望だった。それには直ぐ返事がきたが、特徴のある筆蹟と、不思議と思える文面が自分にはひどく印象的だった。特にその中の「私は詩人としては自信がありませんが、一個のサイエンティストとしては認めていただきたいと思います」といった一節は、四十数年たったいまでも憶えている。賢治は同人参加を承知し、一円の小為替と詩「負景」二篇とを同封して寄越した」(「賢治からもらった手紙」)〈『詩人 草野心平の世界』(深澤忠孝著、ふくしま文庫)より〉
とある。続きへ。
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賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』
〈平成30年6月231日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました。
そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
電話 0198-24-9813
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