それでは今回は、先に揚げた以下の拙著、
①Ⅱ「聖女の如き高瀬露」
②第二章 「賢治伝記」の看過できぬ瑕疵
③『賢治の真実と露の濡れ衣』
④『本統の賢治と本当の露』
⑤Ⅲ「私たちは今問われていないか―賢治と〈悪女〉にされた露―」
⑥『筑摩書房様へ公開質問状 「賢治年譜」等に異議あり』
⑦『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』
の中の、②「第二章 「賢治伝記」の看過できぬ瑕疵」についてご覧になって頂きたい。
それは、拙著『「羅須地人協会時代」再検証―「賢治研究」の更なる発展のために―』(自費出版、平成29年)


の中の次の章
第二章 「賢治伝記」の看過できぬ瑕疵
のことであり、以下のようなものである。
*******************************************第二章 「賢治伝記」の看過できぬ瑕疵*****************************************

























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。
続きへ。
〝『鈴木守からの遺言』の目次〟へ。
〝『鈴木守からの遺言』の目次(承前)〟へ。
”みちのくの山野草”のトップに戻る。
ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れ難いと言っているという。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。
おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。
一方で、私は自分の研究結果には多少自信がないわけでもない。それは、石井洋二郎氏が鳴らす、
そして実際、従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと言われそうな私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、なおさらにである。
そのようなことも訴えたいと願って著したのが『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円)である。
だけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。
一方で、私は自分の研究結果には多少自信がないわけでもない。それは、石井洋二郎氏が鳴らす、
そして実際、従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと言われそうな私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、なおさらにである。
そのようなことも訴えたいと願って著したのが『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円)である。

①Ⅱ「聖女の如き高瀬露」
②第二章 「賢治伝記」の看過できぬ瑕疵
③『賢治の真実と露の濡れ衣』
④『本統の賢治と本当の露』
⑤Ⅲ「私たちは今問われていないか―賢治と〈悪女〉にされた露―」
⑥『筑摩書房様へ公開質問状 「賢治年譜」等に異議あり』
⑦『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』
の中の、②「第二章 「賢治伝記」の看過できぬ瑕疵」についてご覧になって頂きたい。
それは、拙著『「羅須地人協会時代」再検証―「賢治研究」の更なる発展のために―』(自費出版、平成29年)


の中の次の章
第二章 「賢治伝記」の看過できぬ瑕疵
のことであり、以下のようなものである。
*******************************************第二章 「賢治伝記」の看過できぬ瑕疵*****************************************

























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ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れ難いと言っているという。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。
おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。
一方で、私は自分の研究結果には多少自信がないわけでもない。それは、石井洋二郎氏が鳴らす、
あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という警鐘、つまり研究の基本を常に心掛けているつもりだからである。そしてまたそれは自恃ともなっている。そして実際、従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと言われそうな私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、なおさらにである。
そのようなことも訴えたいと願って著したのが『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円)である。
だけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。
一方で、私は自分の研究結果には多少自信がないわけでもない。それは、石井洋二郎氏が鳴らす、
あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という警鐘、つまり研究の基本を常に心掛けているつもりだからである。そしてまたそれは自恃ともなっている。そして実際、従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと言われそうな私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、なおさらにである。
そのようなことも訴えたいと願って著したのが『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円)である。

【杜撰】 著作で、典拠などが不確かで、いい加減なこと。〈『広辞苑』(岩波書店 第二版)より〉
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