みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

<聖女>高瀬露・おわりに

2014-02-24 08:00:00 | 賢治渉猟
《創られた賢治から愛すべき賢治に》
鈴木 さて、これで
   高瀬露は<聖女>だった。
ということを私たちとすれば示すことができたし、検証作業は無事終わりを迎えた。
 このことは手放しで大いに喜ぶべきことだが、賢治が亡くなってから約80年経た今でさえも調べてみれば新たな事実を知ること等ができてこの検証ができたのに、なぜこのようなことが今までに為された来なかったのだろうかということに私は正直不満を隠せない。
吉田 たしかにそれは言い得て、「高瀬露は<聖女>だった」が検証できるくらいだから、まして「高瀬露は<悪女>などではない」という検証はもっとし易いはずだからな。
鈴木 そもそも私からすれば、「高瀬露は<悪女>などではない」ことは、わざわざ検証せずともそれまでに知っている事柄からだけでも常識的に判断すれば始めから明らかだったし、それは私だけではなくて私の知っている少なからぬ人達もそう言っていたからなおさらそう思っていた。
吉田 それはそうなんだよな、僕の周りの人達の中にも露は悪女なんかじゃないよという人が少なくない。
荒木 にもかかわらず現実は、「悪女伝説」はすっかり巷間広まってしまったし、定着してしまったということか。変な話だな。
吉田 しかも、それは看過できない事態であり、宮澤賢治のためにもその検証が急がれなければならないということについては、残念ながら今まで一度も公的には論議されてこなかったようだ。
荒木 それもまた変な話だ。
鈴木 こうして検証作業を終えてみると、露は一方的に論われ、MやGの検証もせず裏付けをとることもせずに噂話をふくらませたゴシップもどき著作が、文献として使われたり、伝説を流布させたりしたことも看過できないが、賢治の奇矯ないくつかの行為にも問題がないわけでもないのに、露に対する不条理な扱いに較べれば殆どの人はそれを問題視していないという、その非対称性も私は看過できない。あまりにもそれはアンフェアだから…
吉田 いや、そのことに関しては鈴木の想いもわからないわけではないから僕も否定するつもりはないが、今のところの僕たちの目的はMやGのこと、はたまた筑摩書房を糾弾することではなく、まずは
   <仮説:露は聖女だった>
を検証し、たしかに
   高瀬露は<聖女>だった。
ということを明らかにできればいいな、ということのはずだったから、賢治のこのことに関する非対称性は今後の課題として残しておけばいいのではないかな。
荒木 うん、俺としても今回の検証作業は賢治のイメージを壊すことが目的だったわけでもなく、あくまでもその目的は、不当な扱いを受け続けてきた高瀬露だが実は巷間言われているような女性ではない、ということを示すことができればいいなというものだった。
 そして実際、もはや高瀬露が<悪女>でないことは明らかにできたし、それどころか高瀬露は<聖女>だったということまでも検証できた。
 一方で、その過程で俺は今まで知らされてこなかった賢治の一面も新たに知って、かなりの戸惑いもある。だから、今吉田が言ったように、俺たちは
   高瀬露は<聖女>だった。
ということを検証できたのだから、このことをもっと多くの方々に知ってもらうことにまず当面は心をくだくべきで、問題がないわけでもない賢治ではあるがそのことはちょっと措いといほしい。自分の気持ちを整理する時間が欲しい。
鈴木 そっか、焦ってはいけないな。
 それじゃ、さっき言い出したことが途中で切れてしまったから、今のことを踏まえながらその続きを話せば、
1.先ずは何はともあれ、これで、何人に対しても
   少なくとも高瀬露が<悪女>などではない。
ということを私たちは自信を持って言えるようになった。だから、このことを可能な限り周りの人に知ってもらうことに努める。
2.そして、それがある程度支持を得られた段階で、
   実は、それどころか高瀬露は<聖女>だった。
ということを知ってもらうようにする。
3.このことに関する賢治の言動をどう見るかについては、だいたい人間の評価は亡くなってから百年すれば定まるということだから、後20年経ったならばその時に改めて世間から評価し直してもらう。
というあたりかな。
荒木 その頃には俺もお前達もこの世にはいないだろうけどな。
吉田 だから、天国で賢治や露の周りをうろちょろしながらその顛末を見ていようじゃないか。
荒木 俺は天国には行けないかもしれんから、地獄からそれを見上げている。
鈴木 じゃじゃ、殊勝なことを言うもんだ。
荒木 おれはなあ…いろいろあったからな。まあ何はともあれ、
   高瀬露は<聖女>だった。
と確信した人間がこの世に一人増えたということは確かだ、ってことだ。
鈴木 いやいや待て待て、少なくとも3人は増えたとしてくれよ。
荒木 おっそうか心強い。
 それじゃ今後は、
   《創られた賢治から愛すべき賢治に》
というスタンスでまずはお互い自分がそれぞれやれることをやってみることにするべ。
吉田 そしてその際には、
いく度か首をたれて涙ぐみみ師には告げぬ悲しき心
                             小笠原露
オツペルの虐げられし象のごと心疲れて山に憩ひぬ
                                露草

                             《(シロ)ツユクサ》
ポラーノの廣場に咲けるつめくさの早池の峯に吾は求めむ
                                露草

                    《(ホソバ)ツメクサ》(早池峰、平成24年7月18日撮影)
という歌を詠んでいた、切なさそうだが健気とも思える露の心を汲みながら。
                                           (完)

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5 コメント

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 お疲れ様 (辛文則)
2014-02-26 03:13:34
   脱稿までの道程道行、たいへんお疲れさまでした。
先生の「〈道破(どうは)〉底(ち)なる〈道取(どうしゅ)〉乃至〈道得(どうて)〉」への〈求道〉に対けて、敬愛畏敬と感銘なを込めた挨拶を贈らせて戴きます。
〝 オッペルの虐げられし象のごと心疲れて山に憩う 〟
虐げられし己が身心を瞋恚と怨恨の躯に化えないつよさこそは、

釈迦牟尼流仏教の出発地は、「諸悪莫作(しょあくまくさ)、衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)、自浄其意(じじょうごい)、是諸仏教(ぜしょぶっきょう)。」というごく素朴な教えですね。宮澤賢治の『不貪慾戒』にもその名が出てくる江戸期の真言仏教僧であった慈雲尊者はサンスクリット研究に勤しんだのは原始仏教の〈道(みち・こころ・ことば)〉を〈明らめる(諦める)〉ことを先ず以てその立処(スタンス)〉に置いたらしく、〈十善十善〉を説き、〈不十悪戒〉を説いたようです。
人の行為を、〈身〉〈口〉〈意〉の三業(さんごう)に分別し、〈身の悪〉を〈殺生〉〈偸盗〉〈邪淫〉の三つ、〈口(言葉)の悪〉を〈妄語(ウソイツワリ〉、〈綺語(カザリ言)〉、〈悪口(バリゾウゴン)〉そして〈両舌(不和ヲマネク中傷)〉の四つ、そして〈意(心気意)の悪〉として〈貪慾〉、〈瞋恚〉、〈愚癡(無明・邪見)〉の三つを。十善はこの十悪に〈不〉を付けた、例えば〈不貪慾〉・〈不瞋恚〉・〈不愚癡(不邪見)〉となり、これを自己戒律化したのが〈不三毒戒〉ということに。道く、〈不貪慾戒〉〈不瞋恚戒〉〈不愚癡戒(不邪見戒)〉ということになる訳です。
固より、十善十悪はそれぞれ個別になされ得るのではなく、相互因縁的に密接に関係し合っている訳ですね。その根柢で最も根強く働いているのが、〈貪・瞋・癡(とんじんち)〉の三毒ということに。その何れかだけを改善しようとしても無益なるは必定ということで〈不三毒戒〉、と。この善悪論は大乗化によって宗派が多岐に分派分裂する以前のごく基本的な仏教の「諸悪莫作、衆善奉行。」として釈迦以前から伝えられて来たと、説かれたようです。
 で、大正十二年作の、「オリザサチバが上等なタアアのサラドの色」になっている現象は、慈雲尊者の「〈十善戒(諸悪莫作、衆善奉行)〉の教え」によれば、「〈不三毒戒〉の〈善逝(スガタ・阿弥陀如来)〉ナンデアル.」などと、〈漱石枕流(そうせきちんりゅう・牽強付会・伝田引水)〉流にれ遊楽遊読(ゆらくゆどく)して、その九年後の『雨ニモマケズ』での「慾ハナク,決シテ瞋ラズ,イツモシズカニワラッテイル.アラユルコトヲ自分ヲ勘定ニ入レズニ,能ク見聞キシ解リソシテ忘レズ.」という〈不三毒戒つまりは不十悪戒〉の先行形として道取されていた、と。
 で、枕流漱石流の道取を強辯すれば、「『雨ニモマケズ』は〈慈雲尊者・高等遊民〉流の不十悪戒なる道破なんであり、そは、「1931年時点での当世時勢」からに言えば、「他ノ皆ニ木偶之坊ト誹謗中傷ヲ受ケザルヲ得ナイ立処ナンデゴザル.」と呟いたのだ、と遊化遊読仕ったという次第なので御座りました。この辺りは、『大志阿修羅』風の画伝引水解でゴザル。
さて、此処で、M氏やT氏が陥ってしまったかもしれない、「過失とは言い難い口悪」と、とりわけ、〈妄語・悪口・両舌〉という三口悪を誘い出した因縁なるや如何、と問うと、否応もなく、〈不三毒戒〉の一大事さが、……。とりわけ、「〈不貪慾戒〉と〈不愚癡無明邪見戒〉との間の相互因縁性「」、が。まこと 慥(まこと)に以て桑原桑原でござりますです、じゃ。
 で、最後に語用語句の注解ですじゃ。この文脈で用いた〈道〉という字は凡て、〈こころ・ことば・いう〉の〈心意(ココロ)〉。〈道破〉は「ハッキリと言い切る」あるいは「異論や反論を説破・論破する」、〈道取〉は「言語表現・言語動作・言語行為つまりは言説ディスクール.」、〈道得〉は「的確な言語表現の成就.道を道い得たテクスト.深く解釈すべきテクスト」といった塩梅でござりまする。
 「愚癡無明邪見なる悪口両舌」に対けて瞋恚を返さなかった高瀬露女史の悲しくも嬉しい歌心に〈吾等の道〉も癒されまするです。
        文遊理道樂遊民 辛文則 記。2014,2,26 3:00記
※ 露女史には、画房文遊理道樂庵ギャルリ掲載の『覚縁への彷徨』を『縁覚という哀切』などと化えて贈りましょう、かしらん。
返信する
有り難うございます (辛様へ(鈴木))
2014-02-26 08:31:02
辛 文則 様
 お早うございます。
 この度は身に余るご挨拶有り難うございます。ただし、私のこの度の道程は〈求道〉とは言い難いものですし、「釈迦牟尼流仏教の出発地は…〈不三毒戒つまりは不十悪戒〉の先行形として道取されていた、と」の段落を前にしますとその格調の高さゆえに、己の辿ってきた道筋を恥じ入るばかりです。
 例えてみれば、辛さんは空飛ぶ鳥、正直私は地べたを這う虫(それもやがて蝶に変身できるようなそれでもなく)であると自覚しております。さりながら、「虐げられし己が身心を瞋恚と怨恨の躯に化えないつよさ」を持った露の見事な生き様に敬服の外はない、ということを虫の眼から見ても改めてこの度感ずることができました。なお、これは僻みでも何でもなく、それぞれの在り方と有り様だと思っております。
 さて、今回の件につきましては<仮説:露は聖女だった>があまりにも大胆すぎましたので世間を騒がせたかもしれませんが、結果的には今回の投稿によって、巷間広まってしまった「高瀬露伝説」はその理由も根拠も実はかなり危ういものであったということを幾ばくかは訴えられたかもしれないと思っております。
 またもしかすると、一通りのことを投稿し終えたいま、私自身が一番何よりも安堵し、現時点ではこれでいいのだと勝手に納得しているのかもしれません。それもまた楽しからずや、です。焦ってはならないのだ、と思っているからです。

 また、『覚縁への彷徨』拝見つかまつりました。さて、贈られた露はどのように感じたのでしょうか。

 末筆ながら、花巻もだいぶ春めいてまいりました。盛岡もそうだと思いますが、くれぐれもご自愛下さい。これからも余寒の日が時にあるやもしれませぬゆえ。
                                   鈴木 守
返信する
 徒然に その1 (辛文則)
2014-02-26 20:08:02
 鈴木守様
  己が〈身心(しんじん)〉を一先ず〈身・口・意〉と三分別し、その〈口〉つまり〈言語活動〉を
〈ランガージュ(言語作用)〉という概念を用いて掘り下げたのがF・D=ソシュール、〈言語ゲーム〉という概念で捉え直したのがL・ウィトゲンシュタインというのが、現代言語哲学の視座ということになるのでしょうか。尚、〈両義性の哲学〉と〈身体知覚の構造哲学〉のM・メルロー=ポンティへの感心は、岩大般教時代にその倫理講義を受講した滝浦静雄氏(東北大へ移動)と木田元氏との翻訳したP・セザンヌ論である『眼と精神』(1980第十七刷)からのつきあい出発始めでした。因みに、日本語とか中国語とか英語とかいう〈制度体系的言語〉のことを、ソシュールは〈ラング(言語体)〉と呼びますから、「ランガージュ活動によって様々なラングが形成される。〈方言(訛)〉はラング次元での多様化なんである。」、ということになりましょうか。
たとえば、日本語と中国語と印欧語との間の因縁を調べると、中国語は、文法などランガージュ次元では、日本語より印欧語に近いが、用字などのラング次元では日本語に近い、といった言語哲学的な異同性はよく知られている訳ですね。固より、インド原語であるサンスクリットは〈インドヨーロッパ語族〉です。ヨーロッパ語族はの分派は、ラテン系(スペイン,フランス,イタリアなど)、ゲルマン系(ドイツなど)、アングロサクソン系(イギリスなど)、スラブ系(ロシアなど)の五種が代表ですね。
で、小生が『白堊校百年史』編纂の片手間に読み始めた、ソシュール言語哲学と『テクストの快楽』や『エクリチュールの零度』のR・バルトに感化を受けた佐藤信夫氏の『記号人間』(1977)、『レトリック感覚』(1978)『言述のすがた』(1986)、『レトリック認識』(1986)、『意味の弾性』(1986)、『レトリック消息』(1987)など、一連の〈レトリック(文彩文則)叢書〉からの感化と、日本への本格的なソシュール言語学紹介の礎となった『ソシュールの思想』(1981)から、『文化とフェティシズム』(1984)、『欲望のウロボロス』(1985)、『生命と過剰』(1987)、『ことばと無意識』(1987)、『言葉・文化・無意識』(1988)、『欲動』)(1989)、『生の円環運動』(1992)からの感化が、後に、「漱石と賢治との間を〈老荘・禅仏教の言語哲学〉の因縁関係性を鍵にして読みなおす」という視座の土台となりました。
因みに、フランス構造主義哲学やポストモダン哲学を紹介した浅田彰と。チベット密教のコスモロジーなどを紹介した中澤新一の『チベットのモーツァルト』が出版され〈ニューアカデミズム〉の名でブームを巻き起こした1983(昭和58)年は、守先生が白堊校に就いた翌年でしたでしょうか。守先生の口から「浅田彰の『構造と力』」という名が出て、「オッ!」と思ったものです。そのあたりに関心をもっている同年代の白堊校教師は、小生の知る限り伊藤勝氏だけでしたから。尚、A・ケストラーの〈アンチ還元論的全体論〉としての『ホロン革命』がブームになり、NHKのドキュメンタリー『二十一世紀からの警告』の案内者の名に〈ホロン博士〉が使われていました。
因みに小生が、同じ、〈全体性〉でも、「一旦分割されたモノとしての部分を加算統括した全体性としてのトータリティ」と、「分割分析する以前の全体性としての非部分還元論的な全体観としてのホロニティ」とは、似て而非なることをつよく自覚させられたのはこの頃のことでした。道く、「〈トータリタリアニズムとしてのかっこ全体主義〉と〈ホロニズムとしての全体観〉とをベイグ(混同・ごたまぜ)にすべからず。」、と。小生が拘っている、〝『農民芸術概論綱要・序』での、「世界全体が幸福にならないうちは」ではなく「世がぜんたい幸福にならないうちは」という〈道取〉で〈道破〉されている賢治の道う〈モナド的個人の幸福〉や如何?〟という、〈蒟蒻(こんにゃく)問答(公案禅問道)〉風の問題設定な訳です。この難有い問いは、「〈賢治の思想〉と〈田中智学八紘一宇主義〉との間の因縁関係性や如何?」という、未だに門んが開かれてさえいない〈難有い問題〉と直結して来るように思われる、ものですから、……。〈リベラル・デモクラシー〉が蹂躙されそうな風潮が再来しているが如き世上を憂うると、……。
さて、その要になったのが、末期の丸山圭三郎氏も用いていた〈言語あらや識〉というキー概念を通して識るに到った『意識と本質』(1983)、『意味の深みへ』(1985)、『コスモスとアンチコスモス』(1989)、『大乗起信論の哲学』(1993)などにはまり込んでしまったのが、C・G・ユングとも昵懇だった東洋思想と現代言語哲学の井筒俊彦氏の著作なのでした。釜南時代(昭和62(1987)年~平成5年)に大感化を受けた、井筒老師テクスト化は、「老荘哲学や禅仏教哲学と現代言語哲学との間に橋を架ける」という壮大な仕事でしたから熱中せずにはいられない、という次第なのでした。
つまり、小生の〈漱石テキスト読み〉や〈賢治テクスト読み〉にの視座や立処に関しては、良くも悪くも、漱石研究者や賢治研究者の色眼鏡がかかっていないというリクツになります。で、〈文遊理道樂遊民〉という〈玄妙不可思議なる名〉を用いて道取した〈言語ゲーム宙宇〉は、言ってみれば、「〈画工兼彫刻家にして西洋音楽嗜癖症者〉の耳目で、佐藤信夫・丸山圭三郎・井筒俊彦の視座から漱石テクストと賢治テクストを読み遊ぶ」といった塩梅になりましょうか。幸か不幸か、妻〈コスモス歌人吉田史子〉とは違って、教え子の城戸朱里や妻など、詩人とのそこそこの付き合いはありますが、小生自身は〈詩人〉ではありません。
 
   
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 徒然に その2 (辛文則)
2014-02-26 20:09:10
〈後半です〉

老荘哲学や禅仏教哲学に観てとれる個人主義は、「〈モダニズム(ヨーロッパ近代主義)〉的個人主義つまり〈功利主義的主義〉とは似而非なる〈反功利主義的個人主義〉」なのだと観じられます。『私の個人主義』(大正三年)の夏目漱石や、『善の研究』(明治四十一年)〉の西田幾太郎が説いている「〈利己主義(エゴイズム)〉とはべつものの個人主義」という見解に深い共感を覚える、と。つまり、小生は、『漱石を読みなおす』(1995)の小森陽一氏(〈九条の会〉事務局長)の道う、「送籍者漱石のいう〈個人主義(インディヴィデュアリズム)〉は〈エゴイズム(利己主義)〉や〈エゴティスム(自己中心主義)〉や〈エゴセントリズム(幼児的自己中心性)〉とは違うのです。」という主張に、全面的に共感している訳です。
ここで浮かび上がってこざるを得ない、〈自己矛盾〉あるいは〈絶対矛盾〉こそが、寸心西田幾太郎の道う「絶対矛盾的自己同一」と、大拙鈴木貞太郎の道う「即非の論理」という、原理的に非自己創出的な〈トートロジーシステム〉でしかありえない〈真偽二値論理システム〉あるいは〈形式論理システム〉の成立原理とされる〈同一律・矛盾律・排中律〉三点セットへの挑戦ということに。
ご承知のように、〈即非の論理〉とは〈排中律違反論理〉ですね。「Aは同時的にAデアル」という同一律と、「Aが同時的に非Aデアルことはアリ得ナイ」が矛盾律、そして、「Aデアルでも非Aデアルでもないはアリ得ナイ」が排中律ですが、この三律は同じ言語律の言い換えです。
で、『草枕・一』の漱石が道う「不同不二の乾坤の建立」や、「維摩の黙雷」(島地黙雷の法名の源)で知られる「文殊師利菩薩の不二の法門」などが。〈不二〉とは〈不一不二〉のラ蔵ry略だから話は厄介。単に〈不二(冨士)〉というだけなら〈唯一無二〉ということで自己矛盾はないのですが、〈不同不二〉と同意の〈不一不二〉となると話は難有いことに。
というのも、この文脈での、〈一〉も〈二〉も数詞ではなく、〈同一性・全体性〉と〈別異性・部分性〉の別名であり、件の〈トータリティ〉と〈ホロニティ〉の問題とも関わってくる訳です。尚、〈不二〉の同意別語には、漱石語用例では他に〈二而一一而二〉、意ずつ井筒俊彦語用例には〈非同非異〉でが。サンスクリットや古イラン語などを含む十数カ国語を自在に操るといわれた井筒俊彦テクストの大半は、英文で書かれたはテクストの別人による和訳ということで、「論理的にたいへん読み易い日本語文」になっていますので、……。岩波文庫に『意識と本質』と『コーラン』が入っています。『意味の深みへ』は最近復刊されました。
因みに、〈ホロニティ的全体性〉を意味する仏語・老荘語の例は、〈万物〉〈万象〉〈番万有〉(悉有(しつう))〈万法(まんぽう)〉〈諸法〉〈諸行〉などなど。で、「言語概念分節以前の世界宙宇は、平等無差別で分別不能なり。」を意味する用語はには、『荘子』の〈万物斉同〉〈万有斉一〉、禅語の〈万法帰一(まんほうきいつ)〉、〈万象同帰〉などがある訳です。達磨菩提や趙州従諗や臨済義玄や無門慧開や道元希玄や白隠慧鶴たちも、「言語概念分節以後の概念言語世界では分別は一大事なり」と考え、様々な言語概念を。
『正法眼蔵』の道元希玄に到っては、〈ことば〉を意味する〈道〉関連でも〈道〉〈道取〉〈道得〉〈不道得〉〈道不得〉〈不動〉の五語を。因みに、〈不道〉は動詞〈道〉の否定語、つまり「道わず・沈黙す・言語表現せず」の意。小生、M・メルロー=ポンティやR・バルトのフランス現代哲学を始めて日本に招来した森本和夫師のレイトワーク(晩年仕事)であるみすず書房版〈『正法眼蔵』読解〉によって、巷の噂から、「日本が世界に誇り得る最高の哲学書なる『正法眼蔵』」を初めて手とって三十年目にしてなんとか読み込むことが可能に。

「雷の如く不道・不言・沈黙す」というエピソードが、真面目(しんめんもく)としての、〈言語道断・言詮不及・不立文字〉つまり、「尤も〈本的な真理〉つまり〈(言語概念分節以前の真理の真面目なる道不得(どうふて)〉は〈言語(道)〉では表現不能なんでアール」、と。それはそうでしょう、「言語概念分節以前の世界宙宇」は、〈ランガージュ(非概念的言語作用)〉でならともかく〈ラング(概念的言語システム)〉では表現できまへん!、と。
という次第で、非概念的言語の群れである、〈詩のことば〉〈画のことば〉〈彫刻のことば〉〈音楽のことば〉〈舞踊舞踏にのことば〉やら〈顔色のことば(表情)〉や〈仕草や身振り〉などなどの〈非言語的言語(ノンバーバルラング)〉などが、……。
では、「〈オノマトペ(音湯有喩・擬態語・擬声語)〉は、概念分節言語なるか非概念分線分節言語なるか?」、と。かくなる問いに、「万象同帰の楽しい根源」(『青森挽歌』)というレトリックを用いて言語表現しようとした宮澤賢治が試みていたナニゴトカとは如何、と。
名には何はともあれ、「漱石流不同不二」と、「賢治流万象同帰:そらや愛やりんごや風,すべての勢力のたのしい根源,…………,感ずることのあまりに新鮮にすぎるとき,それを概念化することは,気狂にならないための,生物体の一つの自衛作用だけれども,いつでもまもってばかりいてはいけない.」(二十八歳『『青森挽歌』)、という、「このレトリックは禅仏教的言語哲学の真髄に通じているとしか解せない!」としか考え得なかった言語ゲームこそが、……。
話は変わりますが、M氏の賢治への初対面は大正十四年十八歳の時、賢治が逝った昭和八年時点の満年齢は二十六歳ですよね。Tに至っては……。高瀬露氏は、その長女が宮澤トシと花巻高女同期ですから、賢治の二・三歳下でMより五・六歳年長ということになりましょうか。寿命感覚は、今日日本の「人生八十年」よりは「人間五十年「」の方に遥かに近かったと思われます。啄木二十六歳、原抱琴・内田秋皎三十歳はあまりの夭折ですが、賢治三十七歳、松本竣介三十六歳は中年初期といった塩梅でしょうか。
「徒に馬齢を重ねてしまった」という念いが謙遜ではない〈道〉として。
※ 〈文遊理道樂エッセイ〉用を他人様のブログにも寄稿する失礼をお許しください。
とり急ぎ書いた駄文ですので、殆ど推敲を加えていない欠礼も。
                   2014,2,20:00記   辛文則
返信する
若気の至りです (辛様へ(鈴木))
2014-02-27 10:22:34
辛 文則 様
 お早うございます。
 辛ワールドの圧倒的な煌めきにまた目を瞬いております。

 さて肝心の『自然に』の内容ですが、私には難しすぎるのです。ただ一つだけ、古典力学(ニュートン)までであれば「拝中律」で物事はおさまったと思うのですが、量子力学(シュレディンガー)以降からはそれではおさまらなくなったのだということだけは「感じて」おります。
 シュレディンガーが東洋哲学、老荘思想に造詣が深かったので量子力学を完成できたのか、はたまた逆に、量子力学を確立したから後に東洋哲学に詳しくなったのか、鶏と卵の関係はよくわかりませんが、この力学と哲学は表裏一体なんだろうなとも感じております。
 ちなみに、湯川秀樹の中間子理論の予測にしても、彼が漢籍の素養があったこと、とりわけ老荘思想に精通していたことが大きかったのではなかろうかということを、かつて『旅人』を読んだ際に知ったような、感じたような気がしたものでした。

 なお、浅田彰の件につきましてはもうお忘れください。若気の至りです。

 やっと花巻も春めいてまいりりました。盛岡は如何ですか。どうぞご自愛ください。
                                    鈴木 守
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