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2 仮説の定立

2024-01-31 12:00:00 | 賢治昭和二年の上京



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2 仮説の定立
 さてこれで、澤里も柳原もともに信頼に足る人物だということを私は確信した。したがって二人とも賢治に関することをわざわざ偽るような人間とは思えない。 
 二人の証言と「現通説」
さて、賢治の最愛の教え子の一人澤里武治の次の証言
○……昭和二年十一月ころだったと思います。…(略)…その十一月びしょびしょみぞれの降る寒い日でした。
 「沢里君、セロを持って上京して来る、今度はおれもしんけんだ、少なくとも三か月は滞在する、とにかくおれはやる、君もヴァイオリンを勉強していてくれ」そういってセロを持ち単身上京なさいました。そのとき花巻駅でお見
送りしたのは私一人でした。     ……………○随
<『賢治随聞』(関登久也著、角川選書)215p~より>
があり、もう一人の最愛の教え子柳原昌悦の次の証言
 一般には澤里一人ということになっているが、あのときは俺も澤里と一緒に賢治を見送ったのです。何にも書かれていていないことだけれども。    ……………○柳
がある。
 一方で、このことに関する「現通説」はもちろん「新校本年譜」
大正15年12月2日にあるように
 セロを持ち上京するため花巻駅へゆく。みぞれの降る寒い日で、教え子の高橋(のち沢里と改姓)武治がひとり見
送る。               ……………○現
<「新校本年譜」(筑摩書房)325pより>
ということになっている。となると、矛盾を抱えたように見え
るこれら「○随」「○柳」「○現」の関係はどのように解釈すればい
いのだろうか。
 このことに関して私は次のように解釈している。
 そのためにまず確認しておきたいことは、
◇澤里も柳原もともに信頼に足る人物だと確信できるから、二人とも賢治に関することをわざわざ偽るような人間とは思えない。
ということである。したがって、「○随」も「○柳」もともに事実を
正直に語っていると判断できる。
 すると「○柳」から、あの日に澤里と柳原は一緒に上京する賢
治を見送った、ということが導ける。そして柳原が言うところ
の「あの日」とは「○現」の日付「大正15年12月2日」に他ならない。
 したがって、
◇大正15年12月2日、澤里と柳原は上京する賢治を一緒に見送った。           ……………①
ということになるが、これは歴史的事実と考えられる。一方
「○随」より、
◇昭和2年11月頃の霙の降るある日、上京する賢治を澤里はひとり見送った。       ……………②
も同様に歴史的事実と考えられる。もちろんこう解釈すれば、澤里の証言と柳原の証言の間に何ら矛盾は生じないし、この解釈はかなり素直な解釈でもある。
 ところがこう解釈すると、「通説○現」との間には矛盾が起こ
るではないかと指摘する人があるかもしれないが、それはない。ここで誤解してはならないことは、何も澤里は霙の降る大正15年12月2日に賢治をひとり見送ったと証言している訳ではないからである。また澤里は大正15年12月2日に賢治を見送っていない、とももちろん言っていなのである。したがって、ここは柳原の言うとおりであるとして一向に構わず、何ら矛盾は生じないことになる。
 一方では、「新校本年譜」は「理由」も明示せずに「通説○現」の
日を
 ただし、「昭和二年十一月ころ」とされている年次を大正一五年のことと改めることになっている。
と宣言している。だから矛盾の根元はそこにあると私は言わざるを得ないし、「宮澤賢治年譜」担当者におかれましては是非ともその「理由」を我々読者に対して明示して欲しかったし、これからでもいいからそうして欲しいものである。
 がしかし、その「理由」を現時点では知る術もない私とすれば、その宣言の妥当性も理解できないがゆえに①と②はともに真実
のはずであり、まずは
  宮澤賢治は昭和2年の11月頃に上京した。
と結論せざるを得ないのである。
 仮説「♣」定立
 そこで、私は澤里の証言「○随」等に基づいて次のような仮説
 賢治は昭和2年11月頃の霙の降る日に澤里一人に見送られながらチェロを持って上京、3ヶ月弱滞京してチェロを猛勉強したがその結果病気となり、昭和3年1月に帰花した。               ………………♣
を定立したい。
そして、今後はその検証をしばし試みたい。
******************************************************* 以上 *********************************************************
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《新刊案内》
 この度、拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』

を出版した。その最大の切っ掛けは、今から約半世紀以上も前に私の恩師でもあり、賢治の甥(妹シゲの長男)である岩田純蔵教授が目の前で、
 賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだが、そのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった。
と嘆いたことである。そして、私は定年後ここまでの16年間ほどそのことに関して追究してきた結果、それに対する私なりの答が出た。
 延いては、
 小学校の国語教科書で、嘘かも知れない賢治終焉前日の面談をあたかも事実であるかの如くに教えている現実が今でもあるが、純真な子どもたちを騙している虞れのあるこのようなことをこのまま続けていていいのですか。もう止めていただきたい。
という課題があることを知ったので、
『校本宮澤賢治全集』には幾つかの杜撰な点があるから、とりわけ未来の子どもたちのために検証をし直し、どうかそれらの解消をしていただきたい。
と世に訴えたいという想いがふつふつと沸き起こってきたことが、今回の拙著出版の最大の理由である。

 しかしながら、数多おられる才気煥発・博覧強記の宮澤賢治研究者の方々の論考等を何度も目にしてきているので、非才な私にはなおさらにその追究は無謀なことだから諦めようかなという考えが何度か過った。……のだが、方法論としては次のようなことを心掛ければ非才な私でもなんとかなりそうだと直感した。
 まず、周知のようにデカルトは『方法序説』の中で、
 きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。
と述べていることを私は思い出した。同時に、石井洋二郎氏が、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という、研究における方法論を教えてくれていることもである。
 すると、この基本を心掛けて取り組めばなんとかなるだろうという根拠のない自信が生まれ、歩き出すことにした。

 そして歩いていると、ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているということを知った。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。

 そうして粘り強く歩き続けていたならば、私にも自分なりの賢治研究が出来た。しかも、それらは従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと嗤われそうなものが多かったのだが、そのような私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、私はその研究結果に対して自信を増している。ちなみに、私が検証出来た仮説に対して、現時点で反例を突きつけて下さった方はまだ誰一人いない。

 そこで、私が今までに辿り着けた事柄を述べたのが、この拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))であり、その目次は下掲のとおりである。

 現在、岩手県内の書店で販売されております。
 なお、岩手県外にお住まいの方も含め、本書の購入をご希望の場合は葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として1,000円分(送料無料)の切手を送って下さい。
            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813

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