みちのくの山野草

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智学と国柱会を抜きにしては核心に迫れない

2018-03-27 10:00:00 | 法華経と賢治
《『宮沢賢治と法華経について』(田口昭典著、でくのぼう出版)の表紙》

 ではここでは、〝◎なぜ国柱会か〟という節に入る。この節の前半は、賢治が日蓮宗に走った理由が述べられているのだがそこは割愛し、後半のなぜ国柱会を選んだのかという点に注目したい。
 田口氏は、
 賢治が国柱会を選んだのは、国柱会を創設した田中智学の個性によるであろう。宮沢賢治が傾倒した田中智学とはどんな人か。
 田中智学は、法華経による社会の改革を称えたが、あくまでも天皇制の下での、天皇制を支える立場であった。
 その一例として戦時中の標語「八紘一宇」は、田中智学の造語で…(投稿者略)…筆者のような戦中派は、耳が痛くなる程聞かされ、大東亜共栄圏の語と対になって、アジア侵略を正当化するために使われたのである。
 「八紘一宇」というのは、全世界が一軒の家になるということで、天皇を中心として、世界を制覇して統一国家にしよう…(投稿者略)…満州侵略の口実になったのである。…(投稿者略)…
 若し賢治が生きていたら、国柱会の会員として、やはり、侵略戦争の片棒を担いで、活躍したであろうか。早世によって、その厄を逃れたとも見られよう。
             〈『宮沢賢治と法華経について』(田口昭典著、でくのぼう出版)53p〉
と解説していた。
 そこであれっと思ったのが、「「八紘一宇」というのは、全世界が一軒の家になるということ」という一文であった。それは、この一文とあの「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」が二重写しに見えたからだ。そして、賢治は法華経を抜きにしては核心に迫れないということが次第に明らかになってきたかなと思っていた私だったが、それを少し訂正して、法華経というよりは国柱会を抜きにしては賢治の核心に迫れない、とすべきかなと私は思いつつある。

 なお、田口氏はこの節の最後の方で、
 宮沢賢治の生涯の後半に強い影響を与えた田中智学と国柱会について概説してみた。賢治について考える時、田中智学と国柱会を無視できないことが、理解されたであろう。
             〈『宮沢賢治と法華経について』(田口昭典著、でくのぼう出版)60p〉
とまとめていた。たしかに、田中智学と国柱会を無視できないようだ。

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