みちのくの山野草

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「強く異議申し立てをすべき」

2021-11-27 18:00:00 | 「賢治年譜」等に異議あり
《『筑摩書房様へ公開質問状 「賢治年譜」等に異議あり』(鈴木 守著、ツーワンライフ出版)の表紙》

高橋 それでは、私、露草協会の会長としては四つ目として付け加えてほしいものがある。それは第十四巻の「賢治年譜」中の昭和2年についての、安易な論理に頼った次の記載についての「総括見解」もだ。
秋〔推定〕森佐一(荘已池)「追憶記」によると、「一九二八年の秋の日」、村の住居を訪ね、途中、林の中で、昂奮に真赤に上気し、ぎらぎらと光る目をした女性に会った。…筆者略…(「一九二八年の秋の日」とあるが、その時は病臥中なので本年に置く。)〈『校本全集第十四巻』622p〉
 つまり、森は昭和3年のことだとしているのに、「その時は病臥中なので」という安直な理屈で、第十四巻は昭和2年のことだと決めつけているからだ。
鈴木 たしかにこれもおかしいですよね。その年、昭和3年の秋に賢治は豊沢町の実家で病臥していたわけですから「村の住居」にはもはや居らず、森のこのような訪問は不可能であり、「一九二八年の秋」という記述は致命的ミスであることは明らかですが、さりとて、大正15年のことだったということもあり得ますからね。
高橋 そしてそもそも、大前提となるそのような「下根子桜訪問」自体がたしかにあったという保証も、第十四巻は何ら示せていない。よって、それを「一九二七年の秋の日」と書き変えるのはあまりにも安易だ。
 そしてその一方で、「倒産直前の筑摩書房は腐りきっていました」ということについてだが、それはなにも、突然倒産直前に腐り始め、そしてあっという間に腐りきったということではなかろう。そうではなくて、それ以前からそのような土壌が少しずつ造られていったとも考えられるわけで、そのこともあって、「追憶記」のことを引き合いに出したのだ。
鈴木 仰るとおりですよね。私も、この「追憶記」については以前少しく調べたことがあります。ちなみに、それが所収されているのは、昭和9年発行『宮澤賢治追悼』にであり、
 一九二八年の秋の日、私は村の住居を訪ねた事があつた。途中、林の中で、昂奮に眞赤に上氣し、ぎらぎらと光る目をした女性に會つた。家へつくと宮澤さんはしきりに窓をあけ放してゐるところだつた。
――今途中で會つたでせう、女臭くていかんですよ……
<『宮澤賢治追悼』(草野心平編輯、次郎社、昭和9年1月)33p>
と記載されていました。つまり、昭和9年頃でさえも「一九二八年の秋の日」と記されております。
 ということは、下根子桜を訪ねたのが昭和3年の秋にせよ、「現通説」である同2年の秋にせよ、それから約5年半~6年半後に出版された『宮澤賢治追悼』に所収されてこの「追憶記」は活字になっているわけですから、それはそれ程昔の出来事ではないです。したがって、その年を本来ならば昭和2年と書くべきところを昭和3年と不用意に書き間違えたとは普通は考えにくいです。
 まして昭和9年と言えば、森は岩手日報社の文芸記者として頻繁に賢治に関する記事を学芸欄に載せるなどして大活躍していた時期です。そのような記者が、賢治を下根子桜に訪ねた年次を、その訪問時から6年前後の時を経ただけなのに間違えてしまったというケアレスなミスを犯してしまったというのでしょうか。
 しかも、この訪問時期について森は、『宮澤賢治研究』(昭和14年)でも、そして『宮沢賢治の肖像』(昭和49年)でも「一九二八年の秋」としていて、いずれにおいても、「一九二七年の秋」とはしていないのです。あまりにも不自然です。
高橋 ついてはそのようなことも懸念されるので、まずは、「その時は病臥中なので」という理屈がはたして妥当だったのかということについての総括を、第十四巻の担当編集者等はせねばならないということだ。なにしろ、この書き変えが〈露悪女伝説〉という濡れ衣に直結しているとも言えるのだから。そしてまた、一方の『事故のてんまつ』の編集担当者原田奈翁雄の場合は厳しく総括を行ったのだから。
鈴木 これで私もいよいよ決心がつきました。これらのことを一冊にまとめた本を出版し、筑摩書房に対して、
『事故のてんまつ』の場合と同様に、『校本宮澤賢治全集第十四巻』についても「総括見解」を公にしていただけないでしょうか。
と、お願いすることが私の最後の責務であると自覚し、今後取り組んでみます。
高橋 しかしこの段階に至った以上は、もはやお願いレベルではもうだめだ。おかしいことはおかしいと、鈴木君は正々堂々と筑摩に強く異議申し立てをすべき時期がやってきたということだ。
 ついては、その本の中で、
   筑摩書房は、『校本宮澤賢治全集第十四巻』の出版についての「総括見解」をまずは公にせよ。
と声を大にして強く異議申し立てをしてくれ。それはとりもなおさず、賢治研究の発展のためにもなるのだから。
鈴木 「賢治研究の発展のためにも」ですか。そうですね、恩師岩田教授からのミッションはそのことまで含んでいるかもしれませんね。
 とはいえ、決心はしてみたものの、具体的にはさてどうすればいいのかと悩んでしまいます。
高橋 なあに、難しく考える必要はないさ。ここまで話し合ってきたような事柄等を取り纏めて一冊の本にして出せばいいだけのことだ。多分そのような事柄に気付いている人も少なからずいるのだろうが、それぞれ諸般の事情があって、そのようなことは公的には言えんのだろう。しかし鈴木君は門外漢なのだから誰にも遠慮はいらん。ここまで話し合ってきたような事柄を包み隠さず正直に書いて、異議申し立てをし、世に問えばいいのだ。それだけでも十分に意義はある。

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《ご案内》
 来る12月16日付で、新刊『筑摩書房様へ公開質問状 「賢治年譜」等に異議あり』(鈴木 守著、ツーワンライフ出版、550円(税込み))を発売予定です。
【目次】

【序章 門外漢で非専門家ですが】

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