みちのくの山野草

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座談(「判然としている」とはいうものの)

2019-01-24 16:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
《『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲・鈴木守共著、友藍書房)の表紙》

 「判然としている」とはいうものの
荒木 それにしてもな、なんと昭和50年代になって突如、というかタイミングを見計ったように、露が亡くなった後に4通もの「書簡下書」が新たに発見されたと筑摩は嘯いたわけだ。
吉田 しかも筑摩は、「本文としたものは、内容的に高瀬あてであることが判然としているが」(『校本全集第十四巻』(筑摩書房)34pより)と、「内容的に」の「内容」が具体的にどのようなものかも、あるいはまた「高瀬あてであることが判然」の根拠も示さぬままにあっさりと断定し…
荒木 待て待て、ここでいう「本文」とは何を指すのだ?
鈴木 それは同巻によれば、「新発見」の「252b」及び「252c」のことを指す。
 そしてこの「断定」を基にして、従前からその存在が知られていた宛名不明の下書「不5」については、
 新発見の書簡252c(その下書群をも含む)とかなり関連があると見られるので高瀬あてと推定し <『校本全集第十四巻』(筑摩書房)28pより>
て、「不5」に番号「252a」を付けた、と説明はしている。
荒木 なあんだ、「252b」及び「252c」は露宛のものだと断定できるだけの十分な根拠がない上に、そのようなものを基にして「252a」も「高瀬あてと推定し」たということに過ぎないのか。そしてその段階のものを、露が亡くなったのでしれっとして公表したというわけだ。そんなことでいいんだべがね。「校本」と銘打っている割には甘いんじゃねぇ。
吉田 僕も以前、同巻が「本文としたものは、内容的に高瀬あてであることが判然としているが」としている理由をあれこれ推考してみたがなかなか合点がいかないでいる。
 ここはやっぱり、読者に対してもう少し具体的な理由を提示しながら、納得のいくような説明をしてほしいものだ。そうしないと例えば、この「断定」は実は露からの賢治宛来簡があってそれを基にそうしたのだが、賢治宛書簡は一切ないと公言している手前それを明らかにできないのであろう、などと勘ぐられかねない。
鈴木 まして従前の「不5」、つまり「252a」
お手紙拝見いたしました。
法華をご信仰なさうですがいまの時勢ではまことにできがたいことだと存じます。どうかおしまひまで通して進まれるやうに祈りあげます。…(筆者略)…けれども左の肺にはさっぱり息が入りませんしいつまでもうちの世話にばかりなっても居られませんからまことに困って居ります。
私は一人一人について特別な愛といふやうなものは持ちませんし持ちたくもありません。さういふ愛を持つものは結局じぶんの子どもだけが大切といふあたり前のことになりますから。
  尚全恢の上。
《用箋》「丸善特製 二」原稿用紙 <『校本全集第十三巻』(筑摩書房)454p~より>
については当時はどのように見られていたのかというと、『校本全集第十三巻』の「校異」においては次のような「註釈」、
 あて先は、法華信仰をしている人、花巻近辺で羅須地人協会を知っていた人、さらに調子から教え子あるいは農民の誰か、というあたりまでしかわからない。高橋慶吾などが考えられるが、断定できない。<『校本全集第十三巻』(筑摩書房)707pより>
を付けていて、「あて先」は実質的には男性の誰かであろうと推測している。その「註釈」からは、それが女性であること、まして露その人であることの可能性もあるなどということは読み取れない。
荒木 それは、クリスチャン高瀬露がまさか「法華信仰をしている人」に変わっていたなどとは、普通は誰だって考えもしないであろうことからも当然だべ。
鈴木 しかもだ、次のことを筑摩の担当者は知らない訳が無かろうと思うのだが、あの森が『宮澤賢治全集 別巻』の中で、
   書簡の反古に就て
 書簡の反古のうち、冒頭の數通は一人の女性に宛てたものであり…(筆者略)…反古に非ざる書簡は、二人の女性とも手元に無いと言明してをりますが、眞僞のほどは、いまは解りかねます。…(筆者略)…
 ――これら反古の手紙の宛名の人は、全部解るのでありますが、そのままにして置きました。
<『宮澤賢治全集 別巻』(十字屋書店、昭和27年7月30日第三版)附録72p~より>
と述べている。そして、森は「冒頭の數通」の中の一通としてこの「不5」をここでは挙げている。
 したがって、同じ「不5」に対してなのにもかかわらず、先ほどの「註釈」と森の認識とでは異なっている。「註釈」では男性なのに、森の認識では女性だからだ。
吉田 なおかつ、森は「宛名の人は、全部解るのでありますが」と述べているので、この言を信じれば森は早い時点からこの「不5」すなわち「252a」の宛名を、その女性の名を知っていたということになる。
鈴木 しかし一方で、森はここで「二人の女性とも手元に無いと言明してをりますが」と述べ、しかもこの「二人の女性」とは伊藤ちゑと露であるということもそこで実質明らかにしている。これも奇妙なことだと思わんか。
荒木 あっそうか。前に話題になった、森が上田に直接証言したという「〈一九二八年の秋の日〉〈下根子を訪ねた〉その時、彼女と一度あったのが初めの最後であった」と矛盾している。さっきの森の記述「二人の女性とも手元に無いと言明してをりますが」を信じれば、森は露とこの時も会ったことになるから、計二回会っているということになるべ。
吉田 でもその「言明」は、森と露との間の書簡のやりとりによる可能性も否定できないぞ。とはいえ、以前に触れたことだが、『ふれあいの人々』の中にも似たようなことがあったしな。
荒木 あっ、そうそう。そこで森は「何人もの子持ちになってから会って云々」と述べていた。だとすると、少なくとも、言わば計二回半会っていたとも言えるべ…だめだこりゃ。もはやこれで決定的だな。森が露に関して述べていることはほぼ当てにならんということだ。
鈴木 実は、高橋文彦氏が「宮沢賢治と木村四姉妹」という論考の中で、
 彼女は、Mというある著名な地元賢治研究家の名を引き合いにして、彼女はもとより多くの人たちが、ありもしないことを書きたてられ、迷惑していることを教えてくれた。架空のことを、興味本位に、あるいは神格化して書き連ねた作品の多いことを指摘し、賢治を食いものにする人たちのおろかしさに怒りをぶつけた。<『啄木と賢治第13号』(佐藤勝治編、みちのく芸術社)81pより>
と述べている。
荒木 そうなんだ、世の中には似たような人がいるもんだな。
吉田 あっそっか、そういうことな。

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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

             〈平成30年6月28日付『岩手日報』一面〉
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 そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
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      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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