みちのくの山野草

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もう一つの「総括見解」も

2022-10-12 12:00:00 | 賢治渉猟
《三輪の白い片栗》(種山高原、令和3年4月27日撮影)
 白い片栗はまるで、賢治、露、そして岩田純蔵先生の三人に見えた。
 そして、「曲学阿世の徒にだけはなるな」と檄を飛ばされた気がした。

 前回私は最後に、
 これは際立っていると私が感じたことは、
 「現定説」となっている「大正15年12月2日のみぞれの降る寒い日、セロを持ち花巻駅へ、教え子の沢里武治がひとり見送る」が「賢治年譜」に記載されるようになったのは、昭和52年発行の『校本宮澤賢治全集第十四巻』が実は初めてであり、それ以降である。しかも同時に、先に挙げた、
(b) 昭和2年の9月の上京に関して
(c) 昭和3年1月の賢治漸次身體衰弱す
の記載は逆に完全に消え去った。
ということだ。
 なるほどこれで見えてきた。それはとりわけ、最後の(9)と(10)の記載内容は実質的には全く同一であるということがであり、このことから、「えっ、いくらなんでも!」と声を発せざるを得なかったあの杜撰な「注釈*65」については、
 「注釈*65」における、「「昭和二年十一月ころ」とされている年次を、大正一五年のことと改める」という杜撰な書き換えは、昭和52年の時点で、つまり『校本宮澤賢治全集第十四巻』で既に実質的に適用されていたのだ。
ということが、である。
と締めくくったが、その見えてきたことは何かということを今回はもう少し具体的に説明をしたい。

 まず見えてきたことは、あの〝関『随聞』二一五頁の記述〟を典拠としていることになる、『新校本年譜』の大正15年12月2日の現定説、
一二月二日(木) セロを持ち上京するため花巻駅へゆく。みぞれの降る寒い日で、教え子の高橋(のち沢里と改姓)武治がひとり見送る。「今度はおれもしんけんだ、とにかくおれはやる。君もヴァイオリンを勉強していてくれ」といい、「風邪をひくといけないからもう帰ってくれ、おれはもう一人でいいのだ」と言ったが高橋は離れ難く冷たい腰かけによりそっていた。………◉
は、昭和52年になって突如現れたということがである。そして次が、逆に、同時に前掲の(b)も(c)もそれ以降は消え去ってしまったこともだ。
 したがって、昭和52年に出版された『校本全集第十四巻』において、従前の「賢治年譜」が大幅に書き変えられたと言える。それも、疾うに亡くなってしまった関登久也の著となっている、〝関『随聞』二一五頁の記述〟をたてにしてである。しかも、「「昭和二年十一月ころ」とされている年次を、大正一五年のことと改めることになっている」と他人事のように、つまり非論理的に、いわば横車を押してだ。
 そこでこのことをある先輩に愚痴ったならば、その方は、こう説明したくれた。
 そのように『新校本年譜』が他人事の言い方をしているということは、同年譜の担当者である彼が、『校本全集第十四巻』の年譜担当者Hがこのことに関して杜撰なことをしていたということは十分認識していたはずということを教えてくれる。ところが彼は、『校本全集第十四巻』の年譜担当者Hに対して遠慮をし、そこをそのままにしておいた。忖度したのだろう。それは、昭和53年に筑摩は倒産したわけだが、同社の社史が「倒産直前の筑摩書房は腐りきっていました」と正直に述べているとおりで、倒産直前のまさ昭和52年にその横車は押されたのだ。
とである。
 だから私はデジャヴを感じた。そうだ、これもまた、あの〝『筑摩書房様へ公開質問状 「賢治年譜」等に異議あり』(第一章)〟で考察した、「252c等の公開」の場合の構図とほぼ同じではないか、と。つまり、高瀬露が亡くなって程なく、書簡252cは「新発見」とは言えそうにないのにそう表現し、しかもその典拠も明示せずに、「新発見の書簡 252c」は「露あてであることが判然としている」と同十四巻で公的に断定したという、これまた横車が押されたわけだが、このこととほぼ同じではないか、と。
 言い方を換えれば、倒産直前の筑摩書房は腐りきって」いたことの事例の一つが「252c等の公開」であったことを既に実証したところだが、実はそれだけでなく、「「昭和二年十一月ころ」とされている年次を、大正一五年のことと改めることになっている」という、非論理的な、この横車もまたその事例の一つであった蓋然性が高いということだ。
 よって、『校本全集第十四巻』における、
  〝「新発見の書簡 252c」等の公開〟
という横車が、「倒産直前の筑摩書房は腐りきって」いたことの一つの現れであったばかりでなく、同巻における、
  〝「昭和二年十一月ころ」とされている年次を、大正一五年のことと改めることになっている〟
という横車もまた、その一つであったということになりそうだ。
 となればもはや、
 昭和52年に出版された『校本全集第十四巻』もまた、同年に出版された『事故のてんまつ』と同様に、「倒産直前の筑摩書房は腐りきっていた」ことを実は裏付けている。………⚫
とも言えそうだ。
 そこで私は、これではますます不公平ではないかと言わざるを得ない。なぜならば、『事故のてんまつ』については「総括見解」が公になっているが、『校本全集第十四巻』についてはそれがなされていないからである。
 もう少し精確に言うと、かつて私は、
 せめて、なぜ「新の252c」と、はたまた、「判然としている」と断定できたのかという、我々読者が納得できるそれらの典拠を情報開示していただけないか、と。願わくば、『事故のてんまつ』の場合と同様に、「252c等の公開」についても「総括見解」を公にしていただけないか、と。
私は筑摩お願いした。だが、前述の〝⚫〟ということが言えそうだからこうなってしまった以上は、「252c等の公開」についての、と限定するのではなく、それも含めた『校本全集第十四巻』全体についての「総括見解」をお願いせざるを得なくなった。
 畢竟するに、

『事故のてんまつ』の場合と同様に、筑摩書房におかれましては『校本宮澤賢治全集第十四巻』についても「総括見解」を公にしていただけないでしょうか。

という、お願いを私はしたい。

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