《東ニ病気ノコドモアレバ行ツテ看病シテヤリ》(「賢治詩碑」、平成27年10日5日撮影)
さて、罹災したがそれにも負けず健気に頑張っている大槌の子どもたちを支援しようと思って、4ヶ月近くを掛けて取り組みを進めてきた三陸支援の募金活動だが、代表理事の指示通りに現金募金だけを実施するということにした、泣く泣く妥協した事業計画書を9月18日には提出した。また、募金は4日後に迫っていたので同日には準備万端整えた。ところがその翌日の9月19日に、今になって振り返って見れば「待ったましたとばかりのしっぺ返し」とさえも思えてしまう、代表理事からその現金募金そのものの停止命令が出た。そしてその理由はといえば、
貴会会報「おつほ便り」155号(9月1日付)において、本学会正副代表理事および事務局がこの件について不適切な対応をしているという事実誤認に基づく批判記事が掲載され
たのだが、 それに対する謝罪文書が総会直前になっても届いていないから。
というものであった。 しかし、そもそも「おつほ便り」155号(9月1日付)に、「本学会正副代表理事および事務局がこの件について不適切な対応をしているという事実誤認に基づく批判記事」などは載っていない。だから私からすれば、それはそれこそ代表理事の一方的なまさに「事実誤認」である。
なぜならば、同号に載っているのは
「賢治精神」を発揮して、罹災したがそれにも負けず健気に頑張っている大槌の子どもたちを支援しましょうと、全国から集まって来る「宮沢賢治学会」総会参加者に募金を呼びかける活動をしたいと届け出たことに対して、賢治学会幹部は「門前払いをし」たり、「後ろ向きな姿勢」であったり、はたまた「まったく応援も支援する気もない突き放したような回答である」と「市民の会」は認識している。
ということことであり、された側はそう思わずとも、募金活動を届け出た側がそう認識しがちなのは世の常であり、やむを得ないこと。そして私自身も、まさに会報の記事通りだと思っている。それを「事実誤認」だと強弁されたのではたまったものではない。まして、届け出た側がそう認識せざるを得なかったということは、 それまでは代表理事は条件付きで認めており、「募金を実施しようとする場合は事業計画書を提出していただきますようお願いいたします」ということだったからその事業計画書を提出した
現金募金計画だったというのに、土壇場になってその現金募金さえも有無を言わせず認めないという代表理事の9月19日付メールがはしなくも物語っているではありませんか。始めから最後まで、 賢治学会幹部は「門前払いをし」たり、「後ろ向きな姿勢」であったり、はたまた「まったく応援も支援する気もない突き放したような回答である」
ということを。ということで、「立場による認識の違い」の「認識」を一方的に「事実誤認」と言い募って、それが許せないからということで、罹災したがそれにも負けず健気に頑張っている大槌の子どもたちを支援しようという「賢治精神」の実践を、力尽くで完膚なきまでに押し潰してしまった「賢治学会幹部」であったが、賢治はこのような「賢治学会幹部」の有り様を天国で何と思い、どう感じているだろうか。さらに、
それに対する謝罪文書が総会直前になっても届いていないから。
ということを理由にしてとどめを刺した、「賢治学会幹部」の理不尽な無茶振りについても、である。続きへ。
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《鈴木 守著作案内》
☆『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』 ☆『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲との共著) ★『「羅須地人協会時代」検証』(電子出版)
☆『賢治と一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』 ☆『羅須地人協会の真実-賢治昭和2年の上京-』 ☆『羅須地人協会の終焉-その真実-』
☆『「羅須地人協会時代」再検証-「賢治研究」の更なる発展のために-』
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