《『筑摩書房様へ公開質問状 「賢治年譜」等に異議あり』(鈴木 守著、ツーワンライフ出版)の表紙》
さて、高橋氏から、
『事故のてんまつ』の出版は「腐りきって」いたことの一つの現れだとしても、『校本全集第十四巻』の出版までもがそうだったとは言い切れんだろう。
という疑問を呈されて私はおおよそ以下のように対応した。鈴木 そこなんです。実は、「新発見の書簡 252c」等の公開と似たような問題点が第十四巻には他にもあります。
例えば、『新校本年譜』の大正15年12月2日について、
高橋 なになに、「……要約したものと見られる。ただし、「昭和二年十一月ころ」とされている年次を、大正一五年のことと改めることになっている」という、なんとまあ奇妙な理屈でもってして、他人の記述内容を一方的に書き変えていることよ。ここでもまた、無茶な横車を筑摩は押していたのか。
しかし、これは『新校本年譜』においてであって、『校本全集第十四巻』においてではないんだろう。
鈴木 そうなんですが、その第十四巻の大正15年12月2日の記載もこのとおりで、
しかも、よくよく調べてみましたならば、この内容の記載が「賢治年譜」に初めて現れたのは第十四巻でです。
例えば、『新校本年譜』の大正15年12月2日について、
一二月二日(木) セロを持ち上京するため花巻駅へゆく。みぞれの降る寒い日で、教え子の高橋(沢里)武治がひとり見送る。……高橋は離れ難く冷たい腰かけによりそっていた(*65)。
*65 関『随聞』二一五頁の記述をもとに校本全集年譜で要約したものと見られる。ただし、「昭和二年十一月ころ」とされている年次を、大正一五年のことと改めることになっている。〈『新校本年譜』325p~〉
という記載があります。*65 関『随聞』二一五頁の記述をもとに校本全集年譜で要約したものと見られる。ただし、「昭和二年十一月ころ」とされている年次を、大正一五年のことと改めることになっている。〈『新校本年譜』325p~〉
高橋 なになに、「……要約したものと見られる。ただし、「昭和二年十一月ころ」とされている年次を、大正一五年のことと改めることになっている」という、なんとまあ奇妙な理屈でもってして、他人の記述内容を一方的に書き変えていることよ。ここでもまた、無茶な横車を筑摩は押していたのか。
しかし、これは『新校本年譜』においてであって、『校本全集第十四巻』においてではないんだろう。
鈴木 そうなんですが、その第十四巻の大正15年12月2日の記載もこのとおりで、
セロを持ち上京するため花巻駅へゆく。みぞれの降る寒い日で、教え子の沢里武治がひとり見送る。……沢里は離れ難く冷たい腰かけによりそっていた。<『校本宮澤賢治全集第十四巻』(筑摩書房)600p>
となっており、実質的に全く同じ内容です。しかも、よくよく調べてみましたならば、この内容の記載が「賢治年譜」に初めて現れたのは第十四巻でです。
すると、高橋氏は、
ということは、倒産直前であった昭和52年発行の第十四巻は、「大正一五年のことと改めることになっている」という横車を押して、「昭和二年十一月ころ」という証言を一方的に書き変えたということか。これじゃ、これも「倒産直前の筑摩書房は腐りきって」いたことの一つの現れだと言われても致し方がなかろう。
となれば、第十四巻においては〝「新発見の書簡 252c」等の公開〟という横車のみならず、この〝証言「昭和二年十一月ころ」の書き変え〟という横車もあったから、同巻そのものが腐りきっていたという蓋然性が高いので、
と断定した。そこで私は、やはりそういうことなんだと独りごちた。となれば、第十四巻においては〝「新発見の書簡 252c」等の公開〟という横車のみならず、この〝証言「昭和二年十一月ころ」の書き変え〟という横車もあったから、同巻そのものが腐りきっていたという蓋然性が高いので、
『事故のてんまつ』の出版も、『校本全集第十四巻』の出版も、ともに「倒産直前の筑摩書房は腐りきって」いたということをは否定できない。
ということだ。つまり、 『校本全集第十四巻』と『事故のてんまつ』の根っこは限りなく同じだ。
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《ご案内》
来る12月16日付で、新刊『筑摩書房様へ公開質問状 「賢治年譜」等に異議あり』(鈴木 守著、ツーワンライフ出版、550円(税込み))を発売予定です。
【目次】
【序章 門外漢で非専門家ですが】
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