第七章 敢えてした「粗雑な推定」
〈仮説〉の反例現る?
これで残された「年」についてはほぼ調べ尽くしたのだが、思わぬ伏兵が潜んでいた。
鈴木 もちろんこの「昭和7年」が最後に残された年だったので、結局最後までこの<仮説>は検証に耐え続けてくれたということになる。ということは、高瀬露の全生涯にわたって〈仮説:高瀬露は聖女だった〉は成り立つことになった。
荒木 いやちょと待てよ、そ . . . 本文を読む
第六章 昭和7年の場合
曾て賢治氏になかつた事
ここからは昭和7年についてである。
◇賢治を中傷する女の人
鈴木 では、いよいよ最後に残った「昭和7年」分についてだ。
まずは、『イーハトーヴォ第十號』を見てくれ。その五頁には、例の露の
・教へ子ら集ひ歌ひ語らへばこの部屋ぬちにみ師を仰ぎぬ
・いく度か首をたれて涙ぐみみ師には告げぬ悲しき心
などの四首が載っている。そしてそこには
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思考実験<賢治三回目の「家出」>
荒木 ところで、前に吉田が言っていた「ある伏線」はこれらとどう繋がるのだ?
吉田 ご免、そのためにはもう少し準備運動が必要なんだ。まずは、当時のことを時間的な流れで以下に確認したい。
・大正15年秋~昭和2年夏:下根子桜の賢治の許に露出入り(菊池映一氏の証言より)。
・昭和2年秋 :伊藤ちゑ兄と共に来花、賢治と会う(10月29日付藤原嘉藤 . . . 本文を読む
第五章 昭和6年の場合
また持ち上がった賢治とちゑの結婚話
ここからはいよいよ昭和6年に入る。
◇憤怒の〔聖女のさましてちかづけるもの〕
鈴木 それでは、「昭和6年」分については賢治の〔聖女のさましてちかづけるもの〕がその中心となりそうだが、いよいよ始めるとするか。
荒木 そもそも、その〔聖女のさまして云々〕とはどんな詩なんだ?
吉田 それは、『雨ニモマケズ手帳』にこのように書かれていて、実 . . . 本文を読む
第四章 昭和5年の場合
関徳弥の『昭和五年 短歌日記』発見
ではここからは、昭和5年に関わることについてである。
鈴木 昭和5年で問題となるのは、関登久也(本名:徳弥)の『昭和五年 短歌日記』だ。
実は、平成15年7月29日付『岩手日報』の20面にほらこのように〝賢治に結婚話あった〟という見出しの記事が載ったんだ。そしてこのような報道があった訳はと言えば、関徳弥の『昭和五年 短歌日記』が発見 . . . 本文を読む
第三章 昭和4年の場合
昭和4年露宛書簡下書「新発見」?
ではここからは、昭和4年に関わることについてである。
◇<仮説:高瀬露は聖女だった>の定立
鈴木 それでは、これで羅須地人協会時代の検証等は全て済んでしまったから残るはこの時代以降についてであり、今後は昭和4年~昭和7年について調べればよい。
では、まずは「昭和4年」分について考察してみよう。なお、ここからは今までの考察で . . . 本文を読む