☆ 『羅須地人協会の真実-賢治昭和二年の上京-』(テキスト形式タイプ)
第八章 賢治昭和二年の上京
さて、「♧」が賢治の真実であったとなれば、賢治昭和二年の上京はどのようなものだったのかをこの章では考えてみたい。
1 下根子桜時代の詩創作数
まずは、賢治はチェロが上達しないことに対してどのように対処したのだろうか。
グラフから見えてくること
そのヒントを与えてくれそうなのが下のグラフ【 . . . 本文を読む
《1 》(2024年3月19日撮影)
《2 》(2024年3月19日撮影)
《3 》(2024年3月19日撮影)
《4 》(2024年3月19日撮影)
《5 》(2024年3月19日撮影)
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ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言ってい . . . 本文を読む
☆ 『羅須地人協会の真実-賢治昭和二年の上京-』(テキスト形式タイプ)
第七章 「本年中セロ一週一頁」
この章では、「♧」は賢治の真実であったということにして、賢治のその後のチェロの学習は順調であったか等について考えてみたい。
1 賢治は日記を付けた
さて年が改まって昭和2年、賢治は年頭に当たって一年の計を立てた。一般に賢治は日記を付けなかったといわれているようだが、少なくとも昭和2年には . . . 本文を読む
☆ 『羅須地人協会の真実-賢治昭和二年の上京-』(テキスト形式タイプ)
第六章 大正十五年の上京の真実
前章までの検証によって仮説「♣」はほぼ正しいと確信できたので、私は今後この仮説の反例が見つからないうちは、
賢治は昭和2年11月頃の霙の降る日に澤里一人に見送られながらチェロを持って上京、3ヶ月弱滞京してチェロを猛勉強したがその結果病気となり、昭和3年1月に帰花した。 . . . 本文を読む