《1 ばっけ》(2024年3月16日撮影)
《2 オオイヌノフグリ》(2024年3月16日撮影)
《3 ハコベ》(2024年3月16日撮影)
《4 》(2024年3月16日撮影)
《5 緒ヶ瀬滝》(2024年3月16日撮影)
《6 》(2024年3月16日撮影)
《7 》(2024年3月16日撮影)
いつもより水量がかなり豊富だった。
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☆ 『羅須地人協会の真実-賢治昭和二年の上京-』(テキスト形式タイプ)
第二章 仮説を立てる
1 柳原昌悦の証言
そもそもの疑問の始まりは、『新校本宮澤賢治全集第十六巻(下)年譜篇』であった。同書はもちろん宮澤賢治の年譜(以降この年譜のことを「新校本年譜」と略記する)である。
大正15年12月2日の通説
「新校本年譜」において、大正15年12月2日については
一二月二日(木) セ . . . 本文を読む
《1 》(2024年3月16日撮影)
《2 》(2024年3月16日撮影)
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《4 》(2024年3月16日撮影)
《5 》(2024年3月16日撮影)
《6 》(2024年3月16日撮影)
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ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から . . . 本文を読む
『羅須地人協会の真実-賢治昭和二年の上京-』(テキスト形式タイプ)
第一章 改竄された『宮澤賢治物語』
1 澤里武治の証言
関登久也には多くの著作があるが、その中の一つに澤里武治の証言が載っている『宮沢賢治物語』がある。
学習研究社版『宮沢賢治物語』
私が最初に同書を見たのはその学習研究社版(平成7年発行)であった。冷静で客観的な記述の仕方に著者関登久也の人柄を偲ばせていると感心しつつ読 . . . 本文を読む
はじめに
崩れ出した私の中のイメージ
3年程前から私の中で崩れ始め、その後も少しずつ崩壊し続けているものがある。それは私の中の「羅須地人協会」のイメージである。
例えば、私が以前持っていたその決定的なイメージの一つとして「独居自炊」があったが、賢治が羅須地人協会の建物に住まっていた期間のうちの、少なくとも約半年間は千葉恭という若者と一緒に賢治は生活していたということをその後知って、どうやらそ . . . 本文を読む