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気の向くままに

山、花、人生を讃える

笑顔、そして懐かしきおばあちゃん

2010年02月01日 | その他
先日、映画を見終わったら、ひどく空腹を感じたので、やむなく一番軽い290円のスガキヤラーメンを食べることにしました。16時という時間でしたので、さすがに客は自分以外に一人しかなく、店のスタッフも一人でした。

そのスタッフの女性、50代後半ぐらいと思いますが、ぱっと花が咲くような笑顔を見せられて、またまた笑顔というものに感じ入りさせられました。
「お待たせしました。ごゆっくりどうぞ」という間のほんの一瞬のことですが、脳裏には、一瞬にして焼きつけられます。

考えるに、店員さんの声を聞くともなく聞いているちょっとした精神統一状態にある時、あるいは精神が無防備の状態にあるとき、その笑顔が、心の奥まで一瞬にして入りこんでくるのでしょう。そんなときは、まるで、心の中に花が咲いたようです。

こんなことがあるたび、笑顔というものについて考えさせられます。考えると言っても、難しいことを考えるわけでなく、ただ、笑顔が与える大きさに驚き、自分も人に対して笑顔を向けたいと思うだけです。

と申しても、この女性のような笑顔をという高望みはしませんが、せめて、いつでも笑顔が浮かんでいるようにはなりたいと思います。ステキな笑顔に出会うたび、そう思うのですが、いつも忘れてしまっています。

映画のチケットを買う時、買い物をしたレジでの精算のとき、などなど。
思えばそのようなとき、わたしはいつも、我ながら無愛想でつっけんどんな顔をしているのではないかと思う。いつでも嬉しそうな顔をしていて構わないどころか、その方が自分自身もうれしくなっていいのにと思うのですが、いつも笑顔というものを意識していないと、なかなか難しいのでしょう。これを機会にあらためて意識的に努力してみようと思いました。


話は変わりますが、去年の9月でしたか、デイ・サービスの送迎車の運転手募集に応募し、次点で惜しくも落選したのですが、今日、その施設から「ようやく利用客も増えてきたので、まだ他にお勤めでなければ、お願いしたい」という連絡が入りました。しかし、もうシルバーで働く気になっているので、急に気持ちも変えられず、惜しい気もしましたが、お断りしました。惜しいというのは、運転手と言えども、施設を利用してくださる方たちに、慣れるに従ってだんだん笑顔を向けられるようになれそうな気がするからです。お断りしたものの、ちょっと未練が残ります。



      湯豆腐に水割り舌のなめらかさ

      金縷梅や咲けばあわあわ犬眠る      

瀬戸内海のドックに入り、仲間の内の数人が、おばあさんが一人で営む民宿に入ったことがありました。そのおばあちゃんがとても親切にしてくれました。小さいが美味しいミカンを好きなだけ食べさせてくれ、また、高いお金を出して外へ飲みに行くのはもったいないとのことで、毎晩のように、湯豆腐などの鍋物を御馳走してくれました。(食事は別で会社が用意)

和歌を詠むおばあちゃんで、そのいくつかがどこかの大学の先生によって琴曲にされ、レコードにもなっていて、それを聞いたりもしました。建物は古いものでしたが、小高い丘の上にあって海を見下ろせ、庭には梅やマンサクが咲き、いかにも瀬戸内らしい早春の長閑さがあり、琴の調べとが、よくマッチしていました。

10日ほどしてドックも終わり、民宿を離れる時、石段の上からおばあちゃんは手を振って見送ってくれました。そして、のちほど、家にまで立派なミカンを送ってくださいました。


      石段の高さや別れの春憂い

      別るゝや梅咲く丘の古き宿

おばあちゃんの親切に、気持ちが少し感傷気味だったのでしょう。
こんな歌もつくっていました。

      千草咲く丘べの宿の調べ歌 名は「栞草」心に響く

歌のタイトルは「栞草」、そのタイトルを思い出せただけでも良かったと思いました。
ノートには昭和62年とありました。長らく思い出すこともなく忘れていましたが、懐かしい思い出です。


今日はいよいよ2月。
公園には金縷梅(マンサク)の花が咲き始めていました。