気の向くままに

山、花、人生を讃える

ある死刑囚のこと

2015年07月04日 | 読書

 今朝、谷口清超先生の著書『幸運の扉を開く』を読み始めたら、その中に書かれていた話に心を打たれました。それは死刑囚となり、33歳で刑死したペンネーム「島 秋人」という人についての話で、彼について次のように紹介されていました。

○島 秋人さんは昭和9年に朝鮮で生まれ、父親は警察官で、満州でくらし、終戦近くに柏崎に移り住んだ。戦後は公職追放となり、一家はどん底の生活となり、母は、結核で死亡した。以来彼は非行を重ね、強盗、殺人未遂などを犯して、特別少年院に行き、その後に建物放火の罪で松山刑務所に収容された。刑を終わった後でも、面会に来た父と会えなかったというので放火したり、金品を盗んだりして昭和34年小千谷(おじや)の農家に忍び込み、主人に重傷を負わせ、主婦を殺害したのである。公判中も態度が粗暴で、死刑判決を受け、上告して東京拘置所に移され、吉田先生に出した手紙から、次第に人々の愛に目覚め、歌を習い、キリスト教徒ともなり、上告した最高裁からも棄却されて、この世を去ったのである。と

  彼の中学時代の成績は最下位で、行儀も悪かったらしい。それで叩かれたり蹴飛ばされたりしていたとのこと。死刑囚となった或る日、彼は獄中から手紙を書きました。宛先は中学時代の吉田先生。その手紙には、このようなことが書かれていたとのこと。

「今自分は死刑囚となっている。過去を振り返ると良いことは一つもなかった。たった一つ忘れられない思い出は、先生に絵をほめられたこと」と書いてあり、そして「できたら、先生の絵がもう一度見たくなった」と書かれてあったそうです。

 その手紙を読んだ吉田先生は、しばらく考え込み、その様子を見て奥さんが心配して聞くので、その手紙を奥さんにも見せました。そうして、

○このように、昔たった一度ほめられたことが、彼の最後の願いを引き出して、それから吉田先生家族で描いた何枚かの絵を贈られ、歌を習うことにもなり、奥にかくれていた彼の愛と能力が引き出され、信仰にも導かれ、歌の交流を通して盲目の少女とも愛を語り合い、刑死して行ったのである。と

 最初の手紙には、

           さびつきし釘を拾いし獄残暑

という俳句が書かれていたそうです。死刑囚となった彼には、錆びついた釘さえも愛おしく感じられたのでしょうか。彼には『遺愛集』という歌集があるそうで、その中には639首の歌が詠まれているとのこと。そして、吉田先生の奥さんから贈られたセーターを詠んだ歌が紹介されていました。

         ぬくもりの残れるセーターたたむ夜  

                       ひと日の命もろ手に愛しむ

  

 わずか3ページで紹介されている短い話ですが、彼の人生と獄中での心境、その句と歌に心を揺さぶられました。「良いことは一つもなかった」という手紙の一節には、思わず涙がこぼれましたが、それだけに、彼の句や歌にいっそう心打たれたことでした。

 


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