気の向くままに

山、花、人生を讃える

日本の地形と文化

2020年05月31日 | 読書

韓国出身の呉善花(オ・ソンファ)さんは、日本の文化に魅せられ、深く研究している人だが、この人の書いた本を読むと、日本人の私が反対に教えられることが多く、とても勉強になります。

 

今朝、何気なく以前読んだ『日本オリジナルの旅』という本を手に取って、付箋がしてあるページを開くと、そこに興味あるこんなことが書かれていました。

 

○外国人が日本に来ると、たいていの人が日本人は礼儀正しい」「思いやりがある」「秩序を保つ」などの印象を持つ。体系的な宗教教義とはほとんど無縁な人が多い日本で、なぜそうなのか不思議だと外国人は言う。韓国や中国ほどに、儒教の影響が強いわけでもない。これだという道徳や倫理の基準がはっきりしていることもない。善悪感も極めて相対的である。

 

と、このように外国人が不思議がるそうだ。
それについて呉善花(オ・ソンファ)さんは次のように述べています。

 

○私の考えでは、日本では礼儀正しいことは、倫理・道徳にかなった振る舞いというよりは、美しい振る舞いとしてあるのだ。≪中略≫ 正しい生き方というよりも、美しい生き方というのが日本人である・・・と。

 

日本人の根底にあるのは「美しい生き方」である、とこういうのですが、成る程と思うと同時に、素晴らしい洞察だと感心させられました。

 

それから、日本のことを、「島国根性」などと自虐的に表現することがありますが、しかし、呉善花さんは日本の沿岸部の、山が海の近くまで迫り、山や海、平地、川などが一目で見られる、その独特の地形の美しさについて記した後、こんなふうに書いています。

 

○内陸へ入れば、今度は海がなくて四方を山に囲まれ、川や尾根道や谷筋の道を介して外部へとつながる、狭小な盆地での生活が展開されることになる。私はこのように様々な地形がギュッと圧縮を受けたかのように接近し合った「自然の箱庭」のような日本の独特な風景に、ずっと魅せられ続けてきた。そして、日本各地への旅を重ねて行くなかで、日本文化はこうした特異な地形から実に大きな影響を受けつつ、形づくられて来たのではないかと、そう考えるようになった。

 

と、このように述べています。そして、大陸では平野や高地が互いに独立しているように遠く離れ、そのことが民族的な距離の大きさを生みだしていることを記し、その大陸的文化と比較して次のように述べています。

 

○日本列島のような地形では、大陸のように、高地と平地が民族的、文化的な対立をつくり出すだけの条件がない。そのため日本列島では、対立よりは親和とか融合の観点を大きくとってみることが重要なのだ。このことは、日本列島では文化的な複合がきわめて起こりやすいことを意味している。 
 各地のさまざまの文化の複合体としての日本、徹底した対立にまで行くことがなく、いつしか融合と調和へと結果して行く日本、農業、林業、漁業から各種の職業技術を共に発展させてきた日本・・・以下略

 

と、このように日本文化が融合と調和に特徴があることを述べています。

 

確かに日本文化は、この頃は使われなくなった風呂敷を例にとれば、西洋のバッグと違って、折りたためば手の中に納まるぐらい小さくなるのに、かなり大きなものまで美しく包むことが出来ます。下駄や草履は、靴のように履ける人が限定されないで、かなり許容範囲があるし、着物にしても洋服ほどには、それを着れる人が限定されない。そういう点からも、呉善花の説が肯定できると思いました。

 

それにしても日本の地形は、大陸に住む外国人から見ると、箱庭を見る様に、とても美しいのだそうです。
その美しさを私も船員だったので知っているつもりでしたが、幕末や明治の頃に、船で大陸から日本へ始めてやって来た外国人たちは、海から日本を見て、その美しさに目を見張り、感嘆したことを、多くの外国人が旅行記に書いているそうで、そんな話を聞くと、「ああ、日本はそんなに美しい国だったのか!」と、あらためてその美しさに気付かされる心地がしたのでした。

 

長くなったのでここまでにします。
呉善花(オ・ソンファ)の本については、以前に、無類の花好き、日本人 と題して書いた記事がありますので、よろしければ見てやって下さい。

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